人間の1000分の1しかない小さな生き物。飛ぶために体の部品の数を最小限に抑え、手で持つと恐いくらいに軽くてもろい小鳥たち。手のひらの中で小さな心臓が震えるように鼓動し、羽の中に丁寧に包まれた命が発する体温で、手のひらが一瞬にして温められます。蕪村は、そんな小鳥たちを静かに庇に迎え、ささやくような命の音をめでているのです。「嬉しさよ」と言いながら、句には弱い生き物である小鳥たちの悲しさが織り込まれ、切ないような命への哀れみが溢れています。蕪村の哀れみはけっして「上から目線」の慈悲ではなく、生きるという悲哀をともに背負った被造物同士の共感なのです。
私は、小鳥は神様の箸休めだといつも思います。神様に一番近い「空」を飛ぶことを許され、美しい囀りを与えられ、声を大地に反響させることで光と空の移ろいを伝えてくれます。神様自身が、めでるために鳥を作られたような気さえするのです。
その歌のなかに、私はふと、時に応じて私に最も必要な神様からのメッセージを聞いたと思うことがあります。それは、自我を忘れて無心になり、蕪村のような切ない哀れみを感じながら彼らの声をめでるときにしか聞けない、秘密のメッセージです。
めでる心は、神様の言葉を見つける有効な方法かもしれません。