そこが問題です。またの機会があっても、そんなにすぐに本性が治るものではありません。次の機会にも、きっと船はひっくり返るでしょう。同じことの繰り返しです。
本当にそうですか?と子供達に尋ねます。
じつは、ひっくり返ったという経験が、前回と違うのです。そんな人間の経験の積み重ねをこの絵本に感じながら、読んでいます。
高校生の夏休み、同じようなことが起こりました。友人と学校の山小屋へ行くことになりました。ところが、大雨で、バスが途中までとなりました。その後は歩いて山小屋に向かったのですが、行きと帰りでは同じ距離なのに、時間の感覚が違うのです。
行く時にはものすごく時間がかかったのに、帰りはすぐに到着した気がする。なぜだろう?と思っていました。でも、先ほどの絵本から見えてきたものがあります。経験することによって、同じ状況でも、違いを生み出すというものです。
新たな一歩は、新しいものへの一歩であると同時に、同じことでも積み重なっていくことによって、また違った新しさを生み出すことがあるのでは、と、そう考えるこの頃です。
ああ、こんな洋服も持っていた。こんなバッグも持っていた、ああ、ありがたいなと、ひとつひとつの物に感謝の心が湧き起こるのだった。
一体、この気持ちは何だろうか。
新しく生まれかわったようなこの気持ちは何だろうかと考えた。
入院中の2週間、外界と隔離され、会う人は夫と息子。病院の医師と看護師。
そんな中で私が心のよりどころとしたのが、夫がベルギーで買って帰ってくれた祠に入った木彫りのマリアさまだった。
朝、目が覚めると、祠を開けてお祈りし、昼間も気持ちが不安になると祠を開け、夜にも「おやすみなさい」と、祠の中のマリアさまにお祈りする。
また、私が肌身離さず衣類につけているイエズス、マリア、ヨゼフさまのメダイにも手の平で触りつつお祈りする。
すると不安が消え、何か大きなあたたかいものに包まれたような気持ちになるのだった。
その2週間のお祈りの中で、私は心が清められ、新しく物を見る目が養われたのではないかと思った。
病後の一歩を思い出すと、今も胸がいっぱいになる。