新たな一歩

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

私たち人間は、絶えず前に進もうとし、自分自身を発揮していくことを喜びとする生き物であるらしい。前に進まないではいられないくせに、努力をふり絞らないと新しい一歩を踏み出せない苦労の多い生き物でもある。

子どもの頃、或る演芸番組を見た。2組の若手漫才師が面白さを競うコーナーがあり、その日も1組が勝ち、1組は負けた。番組の終わりに、出演者全員が舞台に並んだ時、負けた二人組は悲しそうに後ろの列で、皆の陰に隠れるように立っていた。すると、司会をしていた先輩漫才師が怒鳴ったのである。「遠慮せんと、前に出て来い!後ろにおるから負けるのや。人に勝とうと思たら、何でもええから前へ出て来い!」。そして彼は本当に2人を引っ張って、前列の中央に立たせてしまった。

何という無茶なことを言うオジサンだ、と私は呆れ、2人の若者に同情したが、不思議に「何でもええから前へ出て行け」という言葉は強く心に残った。確かに、上手になってから、世間に出て行こうと思っていては、いつまでたっても上手にはならない。前へ出て行き、経験を積むことによって、人は段々上手になっていくのである。そして競争に負けたとしても、自分が新しい一歩を踏み出したことに比べれば、それは些細なことなのだ。芸人なら、勝とうが負けようが、ニコニコして、まずはお客に顔を覚えてもらえばよい。

巨大な樹木も初めは小さな芽から芽吹く。新しい一歩は小さな勇気で始まるのだ。

その先輩漫才師は才能ある人で、怒鳴り声もすさまじかったが、2人を引っ張った手は暖かかったと思う。

もう亡くなって久しいが、彼の無茶な励ましをなつかしく思い出す。

新たな一歩

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

ある女子大のお掃除のおばさんだったお方の話を友人に聞いた。それから、生きていくことって辛いと思うとき、この場に私がいてもいいのかと疑問に苛まれるとき、毎朝、起き上がり、新たな一歩を踏み出す力を得ている。

そのお掃除のおばさんは、長い歳月、女子大で学生たちがいない時間帯や、休みの日に働いていた。おばさんは作業服を着て、歯もほとんどなく、黙々とお掃除をしていた。教職員の方々も学生も、このお掃除のおばさんには単に挨拶をする程度だったと思う。その間、おばさんは、あるシスターに出会い、この人にすべてを託そうと決意し、ご自分のすべての貯金は、死後、女子大に寄付をする手続きをとっていた。

 

そのおばさんが亡くなると、その貯金は、女子大生の為の、返済の必要がない奨学金になった。シスターに託された貯金が一億円。

ただ黙々と働き、ひっそりと生きたおばさん。

死後、発表され、今、多くの学生がその恩恵を受けている。

このおばさんの話は、私の人生のいろいろな出来事の中でも衝撃的だった。今の世の中は、「結果を出す」「世界的な存在になりたい」などの言葉が飛び交っている。日々、結果を出すために、資質や才能とともに、並大抵ではない努力や自己犠牲を払っている人々に対して、私は心から尊敬をする。しかし、私にとって、このおばさんの生き方は、どのような名声や地位を得た方々よりも心に響く。

このお掃除のおばさんの沈黙、この人ならと託されたシスターの沈黙。この世は天国に行くための訓練所なのだと思った。無名の存在として生きた、お掃除のおばさんが天国に着いたとき、すぐにマリアさまに出会われたと、私は信じています!


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