〈この世界は、私に何かを囁いている〉と気づく時、唯一無二の自分という存在が今・ここに立ち、息を吸っては吐いていること自体に、私は歓びを感じます。そして、〈2度と来ない今日という日を大切に生きたい〉という思いに突き動かされるのです。
昨年は私にとって悩みの多い1年でしたが、「心のケア」の活動をしているドイツ人の神父様に会う機会がありました。そのご高齢の神父様は、その日の私の姿を見るや否や、私が着ているTシャツにプリントされた文字を指さして、「"Drive On"とは、〈前に進む大きな力〉です」と教えてくださいました。家に帰り、辞書をひいて調べてみると、その言葉の意味はいくつかありましたが、最初に目に留まったのは、〈追い立てられる〉というものでした。今ひとつピンとこなくて、妻に問うてみると、「辞書の意味というよりも、"駆り立てる・前に進む"という感覚で受け取っていいのじゃないかしら」と言い、その表現は私の胸にストンと入りました。
今年1年、私は"Drive On"の精神で駆け抜けて、目に映る場面に足を踏み入れ、毎日の発見を探し求めて、歩みます。
この様に実際に足を踏み出す一歩もあれば、何かをしようと決断し、行う一歩もありますね。どちらかというとこの一歩の方が、私たちの日常の中では大きなことなのかも知れません。他の人にとっては簡単な一歩でも、自分は踏み出せない。躊躇してしまったり、たじろいで、歩み出せなかった経験は、誰しもあるのではないでしょうか。
そんな私を神さまは見守っていて下さいます。声は聞こえないけれど、姿は見えないけれど、一生懸命に歩みだそうとする私たちの姿を。きっと頑張れ、頑張れ、少しづつでいいから、無理しないでいいよ...って思いながら見守っておられるかも知れませんね。
できる人から見れば「な~んだ」と思う小さな一歩でも、難しい人にとっては大きな一歩。私たちは人からどう見られるかといろいろ考えて、一歩を踏み出せないことも多いですが、そのことは忘れて、神さまが暖かく見守っておられることを想うなら、勇気や力をいただき、新たな一歩を踏み出すことができるでしょう。
私たちが神さまの見守りの中で、今日も新たな一歩を踏み出すことができます様に。恵みの一日となります様に。