新たな一歩

中井 俊已

今日の心の糧イメージ

さあ、心機一転。新たな気持ちで一歩を踏みだす日がやってきました。

特に年の初めには、何か初々しい気持ちになり、夢や目標に向かってスタートしやすくなるものですね。

ただ、節目の良い時でなくても、新たな一歩を踏み出すことはできます。

それは、いつでしょう。

今日、今です。

新たに始めるとすれば、精神的にも体力的にもエネルギーが必要となります。やらないほうが楽です。先延ばしにする理由はいくらでもあります。時間がない、準備ができていない、明日からでも遅くない、と考えて、結局何もしないのが人間というものです。

そういう態度が、慎重なのか臆病なのか、賢明なのか怠慢なのか、わかりません。

ただ、私はしなかったことを後悔するより、やってみたほうが人生は断然楽しくなると考えています。

自分の殻にこもっていると安心・安全かもしれません。でも、外に飛び出して、様々な人と出会い、いろいろなことをやってみるほうが、ハラハラドキドキ、ワクワクウキウキして、何十倍も楽しいでしょう。ですから、思い立ったが吉日です。やろうかなと思ったときがチャンスです。今日、今、始めるのがちょうどいいのです。

始めれば、一歩前進。スタートすれば、勢いがつきます。慣性の法則で、あとは楽に動けます。途中でうまくいかなくなれば、やり直せばいいのです。

これは、私たちの人生の到達目標である天国への歩みにも言えることです。

天国への道の途上で私たちは、つまずき、倒れることがあります。けれども、反省し、起き上がり、また歩みを続けようとすれば、神様はいつもゆるし、助けてくださいます。

新たな気持ちで歩み始めることは、今日、今からできるのです。

新たな一歩

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

元旦はわたしの誕生日なので、嫌でも年齢を重ねます。

年を重ねたら、自動的に命がより成長、成熟するのなら苦労は要りませんが、実際はそうはいきません。身心の衰弱を感じることがしばしばです。それにもかかわらず、新たな一歩を踏み出そうとするのは、人の魂は、いついかなるときでも、太陽の光を浴びて輝く星のように、神さまの栄光を浴びて光り輝いていることを信じているからです。

身体が衰えても、魂は衰えません。それは永遠の生命につながる霊的な体だからです。しかし、わたしたちの多くは、その真実を知らず、信じてもいません。だから、現世にも死後にも希望を持てないのです。

ではどうしたらいいのでしょうか。方法はいくらでもあるでしょう。今日はわたしの体験から、一つの事を申し上げたいと思います。

わたしはカトリック信者として毎日、一定の時間瞑想に当てます。沈黙のうちに静かに20分位、姿勢を正して座っています。雑念は気にしません。すると、深い内的な静けさの中で、愛、喜び、平安を感じます。そして、場合によっては、感情を通して何かインスピレーションが湧いてくることがあります。すると、それを記憶し、大切にして、瞑想が終わった後、ノートにメモします。そして後ほど、それを実行に移してみます。その結果、何か良いことがあれば、それは、良い霊感ということになります。こうしたことを毎日、継続して実践していくことが、「新たな一歩」を踏み出すことではないかと思います。

こうして、魂の素晴らしさが悟れるようになると、神さまのことも、自分のことも、世界のことも、もっとよく理解するようになるでしょう。


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