今日、今です。
新たに始めるとすれば、精神的にも体力的にもエネルギーが必要となります。やらないほうが楽です。先延ばしにする理由はいくらでもあります。時間がない、準備ができていない、明日からでも遅くない、と考えて、結局何もしないのが人間というものです。
そういう態度が、慎重なのか臆病なのか、賢明なのか怠慢なのか、わかりません。
ただ、私はしなかったことを後悔するより、やってみたほうが人生は断然楽しくなると考えています。
自分の殻にこもっていると安心・安全かもしれません。でも、外に飛び出して、様々な人と出会い、いろいろなことをやってみるほうが、ハラハラドキドキ、ワクワクウキウキして、何十倍も楽しいでしょう。ですから、思い立ったが吉日です。やろうかなと思ったときがチャンスです。今日、今、始めるのがちょうどいいのです。
始めれば、一歩前進。スタートすれば、勢いがつきます。慣性の法則で、あとは楽に動けます。途中でうまくいかなくなれば、やり直せばいいのです。
これは、私たちの人生の到達目標である天国への歩みにも言えることです。
天国への道の途上で私たちは、つまずき、倒れることがあります。けれども、反省し、起き上がり、また歩みを続けようとすれば、神様はいつもゆるし、助けてくださいます。
新たな気持ちで歩み始めることは、今日、今からできるのです。
身体が衰えても、魂は衰えません。それは永遠の生命につながる霊的な体だからです。しかし、わたしたちの多くは、その真実を知らず、信じてもいません。だから、現世にも死後にも希望を持てないのです。
ではどうしたらいいのでしょうか。方法はいくらでもあるでしょう。今日はわたしの体験から、一つの事を申し上げたいと思います。
わたしはカトリック信者として毎日、一定の時間瞑想に当てます。沈黙のうちに静かに20分位、姿勢を正して座っています。雑念は気にしません。すると、深い内的な静けさの中で、愛、喜び、平安を感じます。そして、場合によっては、感情を通して何かインスピレーションが湧いてくることがあります。すると、それを記憶し、大切にして、瞑想が終わった後、ノートにメモします。そして後ほど、それを実行に移してみます。その結果、何か良いことがあれば、それは、良い霊感ということになります。こうしたことを毎日、継続して実践していくことが、「新たな一歩」を踏み出すことではないかと思います。
こうして、魂の素晴らしさが悟れるようになると、神さまのことも、自分のことも、世界のことも、もっとよく理解するようになるでしょう。