新たな一歩

三宮 麻由子

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私の好きな言葉の一つに「千里の道も一歩から」があります。英語のことわざ「意思ある所に道開く」と対の座右の銘です。どんな長い道のりでも最初はみな一歩目から始まるという意味と同時に、その一歩を踏み出すことに価値があるのだというメッセージが込められていて励まされるのです。

さまざまな一歩のなかで、明らかに自分の意思と覚悟を持って踏み出す「特別な一歩」があります。私の場合は、語学で身を立てようと決めたことから始まり、ものを書くこと、ピアノのレッスンを続けること、親元から自立すること、俳句と英語俳句を始めることなど、「よし、これで行こう」という一歩を強く踏み出してきました。

手で触れて確かめられるボタンのないスマートフォンを使い始めた一歩により、カメラ機能でパッケージの文字を読んで中身や調理法を知ったり、衣服の色柄を知って取り合わせを選んだりできるようになり、生活が革命的に変わりました。超音波で障害物を探知する歩行補助具を使い始めた一歩によって、盲導犬を持たないという決断ができました。

一歩を踏み出すたびに思うのですが、「本気の一歩」から始まるものには、必ず理解者が現れる気がします。

たとえばピアノ。先生の引退で「もう諦めようかしら」と思っていると、素晴らしい先生が現れて「ぜひ音楽のお手伝いをしたい」と言ってくださいました。英語俳句の会ではアイルランド人の先生が温かく音読のサポートをしてくださいます。仕事では会社の方や編集者さんたちが温かく導いてくださいます。

「本気の一歩」から始まる千里の道には、人をも動かす力があるのでしょう。そしてその一歩は必ず、神様の目に止まっていると思うのです。

新たな一歩

小川 靖忠 神父

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人には皆、それぞれに幼なじみの友がいることでしょう。仲のいい子であったり、時にはお互いをライバル視するような関係であったりと、いろいろではないかと思います。

特に、ライバル関係にある友の場合、成績で、スポーツで、または、その他のことで、いい意味での競争心が芽生えてきます。現代のお子さん方は、お母さんに励まされながら努力してきたにもかかわらず、仮に、自分が相手に負けたとき、どのような気分になるのでしょう。

小・中学校時代のわたし自身を振り返りますと、親は何が何でも「勝ちなさい」というほどに関心がなかったというか、すっかり諦めていたのか、関与しませんでしたね。

ところが、今の親御さんはどうでしょうか。ひょっとすると「こんな成績だから何でも友だちに負けるのよ」と、応援しているだけに、関与して叱るのでしょうか。

たとえ相手に負けたとしても、子どもは子どもなりに努力をしているのです。「負けた」事実だけを取り上げて、子どもの発奮を促してもどうでしょうか。逆効果のような気がするんですが、・・。親は結果にこだわります。しかし、子どもの努力を認めないと、子どもはそれに強い不満を感じ、やる気をなくしてしまうのではないでしょうか。自分の親だからです。

さらに新たな一歩を前に踏み出すために、子どもに言ってあげましょう。「あなたが努力しているのを知っているのは、お母さんであり、お父さんですよ。安心して前に進め」と。子どもを「敗者」として見るのではなく、その努力が「勝者」に値するものであると励ましてあげることではないでしょうか。

新たに人生の1ページをめくりました。それとともに、新たな一歩を刻みましょう。


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