手で触れて確かめられるボタンのないスマートフォンを使い始めた一歩により、カメラ機能でパッケージの文字を読んで中身や調理法を知ったり、衣服の色柄を知って取り合わせを選んだりできるようになり、生活が革命的に変わりました。超音波で障害物を探知する歩行補助具を使い始めた一歩によって、盲導犬を持たないという決断ができました。
一歩を踏み出すたびに思うのですが、「本気の一歩」から始まるものには、必ず理解者が現れる気がします。
たとえばピアノ。先生の引退で「もう諦めようかしら」と思っていると、素晴らしい先生が現れて「ぜひ音楽のお手伝いをしたい」と言ってくださいました。英語俳句の会ではアイルランド人の先生が温かく音読のサポートをしてくださいます。仕事では会社の方や編集者さんたちが温かく導いてくださいます。
「本気の一歩」から始まる千里の道には、人をも動かす力があるのでしょう。そしてその一歩は必ず、神様の目に止まっていると思うのです。