ゆるし・いやし

三宮 麻由子

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ここ10年くらい、私はピアノでフランツ・リストの作品ばかり弾いています。ラ・カンパネラで知られるリストは、ハンガリー人の作曲家であり天才的な演奏家です。歴史上、彼を超えたピアニストはいないと言われる巨匠です。

その大きな手と信じがたい演奏法は、私の小さな手と実力ではとても弾きこなせるものではありません。それでもリストから離れられないのは、リストの音楽が、私の心を赦しと癒しで満たしてくれているからなのです。

リストは幼いころから天才として国際的に注目され、あまたの女性にもてはやされ、社交界のプリンス的存在でした。しかし外国人だったため、パリで門を叩いた音楽院の入学を拒まれ、音楽家として正式な学歴をもてませんでした。安定した結婚生活にも長くは恵まれませんでした。

そんな人生で、彼が強いられたさまざまな赦しと、彼自身の力で到達した悟りともいえる癒しの境地、そしてすべてを神に打ち明けて祈るカトリック信者としての内面が、音楽に凝縮されたと思うのです。

リストは超絶技巧で知られるため、華やかな曲風が注目されがちです。しかし弾き込んでいくと、超絶技巧は彼の「言葉」にすぎないことが分かります。華やかな曲の随所で、深く壮大なメロディーが現れます。まるで、地下に埋まった宝石がふと顔を出すかのように。

そうした旋律を弾くと、私の心には平安が訪れ、言葉にできない深い気持までが祈りに翻訳されて神様に届く気がします。リストが表現しようとしたのは、この心境ではないかと思いながら、毎日彼の作品を弾き続けているのです。

私にとって、リストの音楽は赦し、癒し、そして祈りです。祈りには、そういう形もあるのでしょう。

ゆるし・いやし

阿南 孝也

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健康のために、毎朝6時に自宅を出て、4キロの道のりを歩いて通勤しています。早朝から、何組もの犬の散歩中の方と出会います。家族や子どもに接するように、大切にお世話しているのを感じます。

かつて、ペットを飼う理由は、犬は防犯のため、猫はネズミを捕るためと、実用的なものが1位を占めていました。そういえば、私が幼稚園の頃、近所のお米屋さんのおばあちゃんは、いつも膝に黒い猫を抱いていたのを覚えています。お米屋さんにとって、ネズミはコメを食い散らす厄介者だったのです。屋根裏では、ネズミと猫のバトルが繰り広げられていました。時が流れて、現在では、生活に潤いや安らぎが得られる、癒してくれるという理由が、断然トップを占めています。

わが家では、子どもたちが小学校低学年の頃に、ハムスターを飼ったことがありました。ケージ内の回転ホイールやトンネルを走り抜けて動き回る愛らしい姿は、癒しそのものでした。ところが、ある朝、眠るように死んでいたのです。原因はわかりませんでした。小さく、か弱い存在だったのです。娘は泣きながら庭に穴を掘り、そっと埋めて、いつまでも手を合わせていました。

大切な存在の死を目の当たりにする、これがペットを飼う者の宿命でしょう。残酷なことではありますが、子どもたちにとって、生と死を考える貴重な機会となったことは間違いありません。

動物たちは神が創造された命を持った存在です。

そして、ペットたちは、ストレスや悲しみを抱えている人を慰めようとする習性を持ってくれているようです。

これからも私たちが、よきパートナーであるペットたちと共に暮らし、助け助けられながら歩んでいくことのできる社会が続くことを、心から祈っています。


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