では「人をゆるす」方は? これが問題です。
日常生活のなかで簡単に「もう、ゆるせない!」などとカッカとしてしまいます。もっともすぐに「ゆるさなくては・・・わたしも(神さまから)ゆるされているのだから」と反省するのですが、心はなかなか言うことをききません。感情はくすぶり続けています。あの人が悪いのよ、傷ついたのはわたしの方なんだから、などと、グズグズ言い訳したりして。心底ゆるしていないのにゆるしたフリをしている・・・。どうしたら「ゆるし」と平和を実現させることができるでしょうか。
それがカンタンなら世に人間関係のもつれはなくなるでしょうに。
私の特効薬はこれです。
「愛すること」・・・。とはいえ、憤りまくっているときに、無理です。しかたがないので、「なになにさん、あなたを愛します」と、とにかくひとり言でも、そっと口に出して言ってみます。最初は口元がゆがんだり、頬がひきつったり。どうもしっくりきません。
そのうちイヤイヤ口に出しているのがおかしくなってきたら、しめたもの。傷ついたのは「わたし」ではなく、わたしのプライドやエゴが傷ついたのだと気がつくのです。
私の特効薬の効き目は抜群なのです。
これは、もっともなことだと思う。暴力や裏切り、ひどい言葉などによって相手から深く傷つけられたとき、相手を簡単にゆるせるものではない。心の傷がひどく痛んでいるときに、傷つけた相手のことをゆるせるはずがないのだ。傷つけた相手を忘れることも、怒りや憎しみが湧き上がってくるのを止めることもできない。それが人間の限界だと、素直に認める必要があるだろう。
わたしたちには、自分が受けた心の傷を癒す力がない。それゆえ意思の力だけで相手をゆるすこともできないのだ。相手をゆるせない自分を責めるのは、むしろ傲慢と言っていいだろう。ゆるしは人間の力を越えたことであり、むしろ神の領域に属している。謙遜な心で、「どうか、心に受けた傷を癒してください。いつか相手をゆるすことができますように」と祈りたい。