ゆるし・いやし

今井 美沙子

今日の心の糧イメージ

「自分が人ばゆるさんじゃったら、今度は自分が神さまからゆるされんとよ」と父母は常々いっていた。

幼少の頃から聞かされて育ったので、この世の中は、ゆるし、ゆるされして暮らしていくものだと思って成長した。

しかし、そう思って暮らしていたはずの私も、これまでの人生の中で、何度か、あの人だけはゆるせないと思ったことがあった。

私は五島の高校を卒業しただけの学歴で作家になったので、そのことを理由に陰口をたたかれたことがあった。

ある新聞の企画で、高名な作家の方と対談することになった時、それまで信頼していた新聞社の担当者が「あの人にはその役は無理。田舎の高校しか出てないんだから。あの人がするくらいなら、わたしが出ます」といったと、出版社を通じて聞いた。驚き、その後、怒りに変わった。

そのことを、まだ存命だった五島の母へ伝えたところ、一緒に怒ってくれるかと思ったのに、「なんの、なんの、あがの性格が悪かとかいわれたんじゃのうて、今更どうにもならんことでいわれたんじゃけん、よかじゃん」と淡々といったのでがっかりした。

人間は自分で生まれてくる場所も選べないし、学歴もその家の経済状態が左右するから、いかんともしがたい。

母のいうこともよくわかったが、心の狭い私は、それからしばらくその人をゆるせなかった。しかし、71歳になった今、大腸ガンの手術をした今、その人のことをゆるせる。

その人だけでなく、折々に腹を立て、ゆるせないと思った人、すべての人をゆるせる。

それは、年齢的にも体力的にも死に近づいていることを感じる今、神さまからゆるされたいという思いがそうさせているのである。

ゆるし・いやし

服部 剛

今日の心の糧イメージ

実は、この原稿を書いている今日は私の誕生日です。あえて自分の誕生日のことをお話しさせていただく理由は、人それぞれの誕生日が"あの日"に産声をあげた唯一の記念日であり、すべての人に通じる天からの祝福であると、密かに確信しているからです。この世に肉体を宿して生を受ける私達の人生にたったひとつだけの日。それが誕生日であり、今日、私は"存在の歓び"を皆様と分かち合いたくーーこの原稿を綴っています

私は月に2回、あるシスターと信仰についての対話をしています。先日は"固有の召命"というテーマで語らうと、あっという間に時間は過ぎていきました。シスターは静かに述べました。「召命とは、天におられる真の親が、一人ひとりに託した人生の使命です」私は「人はそれぞれに大事な役割があるのですね。自分の胸の奥に宿る魂から、母親と赤子をつなげるへその緒のような細い糸が、天におられる真の親と、地上の日々を歩む私との間につながっている、小さくも確かな感覚があります。私は欠けた器のような自分の至らなさを感じますが、そんなありのままの器にも日射しは注がれているのです」と応じました。

シスターとの対話を終えて、修道院から駅へと続く道を歩いていると、自分の胸の内が目に見えない恩寵に包まれているような豊かさを感じ、私は幸福感を覚えました。

家に帰り、居間に入れば、ダウン症をもつ幼い息子が無垢な笑顔で私を迎えます。飼い猫はニャアと言い、小さな顔を私にこすりつけてきます。台所に立つ妻は私の晩酌の準備をしています。日々の何気ない風景の中に隠れて囁いている神様に、そっと感謝を祈りつつ、私は今日からまた、新しい1年を歩み始めます。


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