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ゆるし・いやし

黒岩 英臣

今日の心の糧イメージ

よく言われるように、自分や自分の大切な人にひどい危害を加えられた場合、私は手を下したその相手を、本当に赦せるでしょうか。

その信じられない程残酷な犯人に、何としても厳罰を、と血を吐くような声をあげて訴える親兄弟の声は時々報道され、私達にも、それは尤もだと納得させるではありませんか。それにも拘わらずそれを赦しなさいと、私はどんな顔をしてその悲しみに沈む被害者に言えるでしょう。やはり、私にはそんなことは言えません。

ですが、聖書にはこういう驚くべき言葉が書いてあります。これはあの有名な、山の上の説教として、主イエスの語られる言葉の一部です。

「私の言葉を聞いているあなた方に言っておく。敵を愛し、あなた方を憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなた方を侮辱する者のために祈りなさい。‥人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなた方にどんな恵みがあろうか。罪びとでもそうしているではないか」と。(参:ルカ6・27~32)

強烈です。私が何とか本当にそうしようと心に誓おうとすると、時として弟子のペトロが言ったあの言葉も脳裏に浮かぶので厄介です。

「主よ、私に対してひどいことをした人を、何回赦すべきでしょう。7回までですか」。すると主は「7回どころか、7の70倍までも赦しなさい」と答えられたのです。(参:マタイ18・21~22)

これが単なる上から目線の言葉ではない証拠に、このイエス・キリストは十字架にかけられ、絶命眞近の時でさえこう仰いました。

 

「父よ、彼らをお赦し下さい。自分が何をしているのか知らないのです」と。(ルカ33・34)

死に直面してなお、こういう心でおられる方の言葉なので、私は魂を挙げてこれを信じたいのです。