2018年02月09日の心の糧

とりなし

中井 俊已

今日の心の糧イメージ 何か願いごとがあるときに、聖母マリアや聖人たちに祈るのは、なぜでしょうか。

聖母や天国の聖人たちは、神様のように全能ではなく、自分の力で奇跡をおこなうことはできません。けれども、多くの人は、彼らのご絵やご像に向かって、祈りを捧げます。それは、聖母や聖人たちが神様に私たちの願いのとりなしをしてくださるからです。

人間同士でも、誰か偉い人に願いごとがあるときに、直接偉い人にアプローチするのではなく、自分の知り合いで、その偉い人と親しい人に仲介をしてもらうことがあります。そのほうが、すんなりと話が通ることが多いからです。

私たちと神様との関係も同様です。神様に直接頼むこともできますが、天国で神様の近くにいる聖人たちに仲介を頼むと、聞き入れてもらいやすいことがあるのです。

ことに聖母マリアは、神であるイエス・キリストのお母さんですから、聖母にとりなしを頼むのは大変効果的です。

福音書には、カナの婚礼でイエスが水を葡萄酒に変える奇跡が書かれています。イエスにとって、これは予定外かつ最初の奇跡でした。それをあえておこなったのは、葡萄酒の不足に気づいた母親の頼みを拒否することが息子としてできなかったからでしょう。それほどイエスにとって聖母の頼みごとは特別なのです。

さらに聖母マリアは、私たちのお母さんでもあります。聖母は私たちが必要なことを、願わぬ先からいつも、愛情をもって世話したいと思っていらっしゃいます。

母親が、涙ながらに繰り返し願うわが子の願いを無視できるでしょうか。聖母は、世のいかなる母にもまさる母です。子どものためなら、必ずや、とりなしをしてくださいます。

2018年02月08日の心の糧

とりなし

三宮 麻由子

今日の心の糧イメージ 2つの立場の間に立ってとりなし、両方が納得できる解決法を見つけるには、どちらの味方にも敵にもならないことが大切になると思います。言い換えると、両方の味方になれなければ、ともに納得できる解決法は示せないのです。

25年近く毎日翻訳の仕事をしていて、私はつくづく、翻訳はとりなしに近い作業だと思います。忠実に言葉を置き換えただけでは、書き手の意図が中途半端にしか汲めず、また読み手に伝わる表現にもならないことが多い気がするのです。

たとえば英語の「enforcement」という言葉。法律の執行や販売戦略の実践のようなときに出てくるのですが、法律以外の場面では日本語でしっくりくるニュアンスの単語がなかなか見つかりません。実践、実施、実行、履行、遵守などなど、同じような単語でも微妙に意味が違います。それらをパズルのように合わせて、両方の言語で納得できる表現をつむいでいくのです。

このパズルを合わせるには、まず書き手の立場に視点を移動して、この言葉はどんな気持から、どんな背景から、どんな人に向けて書かれたのかなと考えます。次に、読み手の側に視点を移動して、読み手がいる文化の背景や社会の雰囲気を考えます。これは技術だけではできない領域で、双方を理解するために、ある種の愛のような気配りが必要になるのです。ここが、とりなしと翻訳が似ている点だと思います。

グローバル化で文化や価値観が直接ぶつかる機会が増えた昨今、忍耐強く説明し合ったり、愛をもってとりなしたりすることは、ますます重要になってきました。翻訳で分かったように、日常のふとした作業からも、とりなし術は会得できるのかもしれません。


前の2件 2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12