2018年02月07日の心の糧

とりなし

古川 利雅 神父

今日の心の糧イメージ 何をするにもお母さんと一緒、お父さんと一緒、そんな子どもの頃が懐かしいですね。いつもお父さんやお母さんに、自分の望みや願い、思っていることなどを打ち明けて...。そしてお母さんお父さんは、一緒に出掛けて下さり、誰かにお願いして下さり、手伝って下さり、私たちの大切な助け手、とりなし手となって下さったのではないでしょうか。

大きくなった今、この様な存在は身近にいらっしゃいますか? おられるだけでなく、私たち自身が、誰かの大切な助け手、とりなし手になっているかも知れません。そうだとすればとても嬉しいことですね。

祈りの1つに「アヴェ・マリアの祈り」があります。幼稚園の子たちも唱える祈りで、祈りの最後に「神の母聖マリア」と呼び掛けて、私たちのために「今も、死を迎える時もお祈りください。」と祈ります。

私たちの願いや必要の全てをご存知のマリア様に、「祈って下さい・・・」と子どもの様な心で、信頼を持って祈ります。私たちのお母さん、お父さんが私たちにとって、大切な助け手、とりなし手であった様に、いやそれ以上にマリア様は、私たちのことを天から見守って、神様にとりなして下さいます。

アヴェ・マリアの祈り、その祈りの言葉をご存じない方でも、マリア様に心を向けて、取次ぎに信頼して、「神様に私の願いをとりなして下さい」と祈られてはいかがでしょうか。目には見えないけれど、私たちのことを受け止め、とりなして下さることでしょう。

マリア様にとりなしを願いながらも、私たち一人ひとりも、誰かのために、助けを必要としている方のために、とりなしてゆくことができますように。お互いに助け合いながら、とりなしあいながら歩んでゆくことができますように。

2018年02月06日の心の糧

とりなし

熊本 洋

今日の心の糧イメージ 「とりなし」とは、「対立する2者の間に入って、うまく折り合いをつけること」を意味しますが、キリスト教の立場から言うと、「仲介者としての神と人間との間をとりもつこと。また、他の人のために神に祈ること」という、より深遠な意味を持つことになります。

聖書の中の登場人物の多くは、その時代その時代で、神と人間の間を取りもっていますが、その中の最たる人物がイエス・キリストであります。新約聖書のヘブライ人への手紙の著者・パウロは、イエスは、私たちの罪の「とりなし」をしてくださる祭司である、と言っています。祭司とは、神殿で神に仕える働きをする人のことですが、その重要な働きは、神と人との間に立って「とりなし」するということであります。

まさに、イエスは、私たちの罪の「とりなし」をなされた方であると言うことができます。

教会では、古くから「とりなしの祈り」という一連の取り次ぎを願う祈りが捧げられています。イエスは、すべての人間、とくに罪びとのために、御父のもとで「とりなし」をなさる唯一の仲介者であり、「つねに、人々のためにとりなしをしておられ、ご自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになる方である」と聖書は、説いています。(ヘブライ7・25)また、他の人のために、とりなしを懇願するというのは、神の憐れみに結ばれた人たちの特徴的な行いであります。

神は、すべてのキリスト者をとりなしの祈りをする者として召されています。

キリスト教徒一人ひとりが、みな、積極的にとりなしをすることは、神の願いにかなったことであり、素晴らしい特権であると言えましょう。


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