このように少し頼りない弟子たちですが、イエスさまは丁寧に彼らに答えられます。
「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(同14・6)
弟子たちの無理解と不安に対して、イエスさまはいつもやさしく丁寧に諭されている姿を聖書は伝えています。
そんなイエスさまが、弟子たちに告げられます。
「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」(同14・13~14)
やさしく諭してくださるだけでなく、祈りをとりなし、かなえてくださる、というイエスさまの約束に、弟子たちは大喜びしたことでしょう。
そしてこのことは、2千年前の弟子たちに対してだけでなく、現代に生きる私たち一人ひとりに対しても、イエスさまはやさしく諭し祈りをとりなして、かなえてくださるのです。
さらにイエスさまは、堅い約束をわたしたちに告げられます。
「はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。...願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる」と。(同16・24)
私たちと神様との関係も同様です。神様に直接頼むこともできますが、天国で神様の近くにいる聖人たちに仲介を頼むと、聞き入れてもらいやすいことがあるのです。
ことに聖母マリアは、神であるイエス・キリストのお母さんですから、聖母にとりなしを頼むのは大変効果的です。
福音書には、カナの婚礼でイエスが水を葡萄酒に変える奇跡が書かれています。イエスにとって、これは予定外かつ最初の奇跡でした。それをあえておこなったのは、葡萄酒の不足に気づいた母親の頼みを拒否することが息子としてできなかったからでしょう。それほどイエスにとって聖母の頼みごとは特別なのです。
さらに聖母マリアは、私たちのお母さんでもあります。聖母は私たちが必要なことを、願わぬ先からいつも、愛情をもって世話したいと思っていらっしゃいます。
母親が、涙ながらに繰り返し願うわが子の願いを無視できるでしょうか。聖母は、世のいかなる母にもまさる母です。子どものためなら、必ずや、とりなしをしてくださいます。