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旅路での決意

服部 剛

今日の心の糧イメージ

以前に働いていた老人ホームで出逢った可愛いおばあちゃんを、私は時折思い出します。今はもうこの世にいませんが、いつも桃色の洋服を着て、ふわりと歩く彼女のことを、私は心の中で〈ゆめ子さん〉と呼んでいました。

クリスチャンでありながら日本人の宗教性にも心惹かれる私は、9年前、初めて京都・奈良の旅に出て、帰ってからお土産話をゆめ子さんにすると、「あなた、大原三千院には行った? いい所よ」と教えてくれました。それ以来、〈次回、京都へ行ったら大原へ〉と思っていました。今回、文筆に専念すべく介護職を辞めた退職金で、念願の京都・奈良への旅を実現し、初めて三千院を訪れました。本堂でお参りした後、庭へ出ると木々の足元は苔むしており、ふと目を上げると小さなお地蔵さんがこちらに微笑んでいました。ふたたび三千院の本堂内へと身を置き、ゆっくりと腰を下ろし、ひととき庭園を眺めた後、次の詩を書きました。

竹筒からひとすじ水の糸がーー落ちる
石の器の水面に、円は広がり
しじまはあふれる
絶え間なく心に注がれるもの
心の靄に穴を空け
密やかに
わたしをみたす

ノートとペンを床に置くと蝉時雨は響き、いつしか日頃の悩みも軽くなっている己の心に気づきましたーーー。この旅に出る二週間前、同居していた義父が帰天し、その存在の大きさを後から感じました。家族でいろいろと話し合う中で、深い哀しみにおそわれましたが、今回の旅路で祈り続けるうちに、〈全てを天に委ねて、生きる〉という決意が、心に生まれてきました。

三千院の門を後にした私は、かつてこの場所を教えてくれたゆめ子さんに〈ようやく、来ましたよ〉と感謝の想いを抱きながら、次の場所へと歩き始めました。