2018年02月05日の心の糧

とりなし

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ わたしは、神父になって50年以上経ちますが、厳密にいえば、「とりなし」ということをやったことがない。相争っている2人の仲を取り持って、両方の主張や言い分を聞いて、足して2で割るという仲介を経験したことがないからです。

わたしは、職業が教師だったもので、物事の道理や事物の良し悪し、モラルや道義の有無については、よく話してきました。その中で、利害関係が相克するようなケースにぶつかった時は、友人に法律の先生や弁護士などのプロがいましたので、相談はしたことがあります。紛争を処理する立場の弁護士たちは、それなりの専門の知識や道具を持っているので、それをもって問題の処理に当たります。

宗教家である神父は、一般的にそういう権能も能力もないと、わたしは思います。やはり、紛争処理は、警察のような専門機関に任せるべきではないでしょうか。

宗教家としての執り成しとは、利害関係の相克する双方の言い分を聞いた後で、神さまに「どうしたらいいでしょうか」とまずお祈りします。もし神がインスピレーションを与えてくだされば、それに従って、両者に和解を説きます。足して2で割るというほど合理的にはできないが、人間にとって一番大事な心構えは、愛すること、赦すこと、受け入れることと説き、お互いが和解する気持ちになったならば、10ある利益を半分にして、五分五分ではどうでしょうか、と諭します。

神さまがすべてをご覧になっていますので、自分が少し損をしたと思っても、相手が少しでも良くなればそれで良いと、落ち着いて決断するなら、その人は神さまからどれほど祝福されるでしょうか。人に与えて損をしても、報いは数倍になって戻ってくるでしょう。

2018年02月03日の心の糧

とりなし

シスター山本 久美子

今日の心の糧イメージ 結婚を間近に控えたある方から、検診で腫瘍が見つかって、手術を受けることになり、医師からは「子供はあきらめるように」と告げられたと、悲痛な思いで相談されたことがありました。

彼女は、伴侶になる方にも気を遣って、1人で悩み、途方に暮れていました。私には何が言えるのか、言葉も見つかりませんでした。

数日後の日曜日、彼女と一緒に御ミサに与った時のことです。聖体拝領の前に「私には、彼女のために一心に祈ることしかできない」と痛感し、「共にご聖体のイエス様に願いましょう」と、その場でメモ書きをして彼女に渡しました。安易な慰め言葉は無責任で、却って他人を傷つけることもあると感じましたが、その時の私には不思議な確信がありました。

数日後、予定通り、彼女は手術を受け、手術は無事に終了しました。その結果、彼女は、医師から「うまくいきました。子供も産めますよ」と言われたそうです。私にとって、この知らせは、「とりなしの祈りが聴き入れられた」という体験であり、大きな喜びでした。

結婚後、彼女は遠方に引っ越してしまわれましたが、何年も経ってから、家族と共に、わざわざ私を訪ねて下さいました。「お祈りのおかげで...」と、2人の子供を連れて来て下さったのです。彼女の心にも、あの日曜日に、共にご聖体に祈った思い出は刻まれていたのだとわかりました。私も、修道院の廊下を元気いっぱいに走り回る子供たちと出会い、「神様のなせる業」だと、心から感謝しました。

「どんな願い事であれ、あなたがたのうち2人が地上で心を1つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださるのです。」(マタイ18・19)


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