彼の詩は、自分を世界の中心におく自己表現からはるかに遠く、 蚊やヤギや魚、月や星、 生きもの、生きていないものたちを、ひとしく「在るもの」としてうたいます。「ぼくが ここに」という詩のなかで、
どんなものが どんなところに いるときにも
その「いること」こそが なににもまして
すばらしい こととして
とあり、動物でも植物でも、石ころでもボタンでも、いつくしまずにはいられない。
そうして、そのいつくしみの底のほうにはたとえようもなく悲しみが滲んでいるのです。
神さま、この悲しみはあなたのものではないでしょうか。
「他の生物は、腹がすいた時に他の生物を自分のなかに取り入れるのに、人間は、腹がへろうがへるまいが、その尽きることのない快楽の追求のために、生きているものを殺したくなってしまう」と、まどさんは言っています。
わたしたち人間は、他の生きものにたいして心の痛みを覚えずにはいられません。
神さまからいただいた生命に与っているわたしたちにとって、他の生きもの達の存在は生命のふるさと、痛みそのもの。
とりなしをしてくださるかたはどなたでしょう?
十字架の上で死んでくださったあのかた。
生きてあるすべてのもののとりなしとして。
30年前、私たち姉妹はそれぞれ結婚し、別々に暮らしていました。父が春と秋に誕生会を開いてくれました。しかし、全員集まることができませんでした。子供たちが病気で家を離れることができなかったり、婚家の両親の病気や介護にかかりきりだったりして、お祝いどころではなかったのです。そんな状態の姉妹を父は心配していたのでしょう。病気で死期を悟った時、私たちに「姉妹仲良く」という遺言を書いたのだと思います。
その後、姉妹の子供たちは成人し、親から手が離れるようになりました。しかし、家庭の事情で甥や姪の結婚式にも出席できない姉がいました。出席した私たち姉妹は、「残念ね。出てこられるようになると良いわね」と口々に言ったものでした。
父が亡くなって30年が経ちました。いろいろな事情で集まれなかった姉が先頭に立って計画を立て、遂に4人全員が集まることができたのです。姉の希望だった函館山からの夜景は、天候に恵まれ、それはそれは美しかったです。帰る日まで周りがあきれるほど、よく話し、よく笑いました。
こんな幸せな日を迎えられたのは、父が、バラバラになってしまいそうな私たち姉妹のために、とりなしを祈ってくれていたからに違いありません。