この詩は彼女の人生体験からにじみ出た愛の勝利の賛歌であり、弱い私たちへの力強い励ましのメッセージだと思います。
マザーがインドで、たった1人で始めた貧しい人々への愛の奉仕活動は、無理解な中傷や妨害に遇い困難を極めました。しかし彼女はめげず、全ての人に注がれている神の無償の愛を、目の前の貧しく見捨てられた人たちに注いだのです。すべての人に、人としての尊厳と愛の安らぎを感じて欲しかったからでしょう。
ひたすら神の愛を信じて奉仕し続け、そして愛は何よりも強く、人の心を満たして幸せにすることを世界に証明しました。ノーベル平和賞受賞はその証しでしょう。
私も少しでもマザーに倣い、周りの人に愛の心で接したいと思います。
1人残った知人の青年が苦笑いして言いました。「いや、みっともないところをお目にかけました。思いがけない取り成しでしたよ。ありがとう。本当にお久しぶりです。」2人は偶然の出会いに感謝とばかり、肩を並べて足早に立ち去りました。きっと居酒屋でも目指しての事でしょう。
「取り成し」とはもめ事を仲裁するとか、離れている人や事柄を双方の事象を考慮して仲介の労をとることです。人の話をよく聞いて相手をなだめるイメージもあります。先生や上司、先輩といった立場の人の役割という感じです。
でも、先の通りがかりの人のように、事情が分からなくてもその場の空気を察して、日頃からの信条である時間の大切さを指摘したことで、人間共通の時間に対する反省を促したのです。
私たちは意識することなく自然に取り成しをすることができます。
たとえば、挨拶や感謝の言葉をはっきり明るく伝える事、季節や天候の話題、負の面より美しさや変化の面白さなどを肯定的に捉え会話する事、今日生かされている事、限りある時間への畏敬の念を根底にもち、いつもさりげなく人に伝える事など。このように取り成しできる人は、集いを明るく和ませる雰囲気を持っているので自然に信頼も厚くなるのです。