2018年02月13日の心の糧


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とりなし

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ 祈りは、自分の必要を満たすために捧げる時と、他の人のために捧げる時があります。祈りを必要としている人のために神に願うことを「とりなしの祈り」と言います。

モーセがイスラエル人のために祈って海が2つに割れたように、神と人々の仲介者になって、危険な状況からの解放や、病の癒しを根気強く祈ることです。すぐに応えられることもありますが、何十年もたって返事が来ることもあります。私は子供の時に祈ったことが30代になって応えられた経験があります。

小学生の頃、日曜のミサで朗読される聖書の意味を知りたくてたまりませんでした。でも、どんなに真剣に聞き耳を立て、筋を追っても最後は結局意味がわからなくなりました。子どもにとって聖書は難しすぎたのです。私は「いつか聖書の意味が分かる日がきますように。聖書の勉強をしたいです」と祈りました。1度だけでなく、何度も祈りました。大人になり、いつしかこのことを忘れていましたが、ある日、ふと、祈りの答を手にしていると気付いたのです。私は大学で神学の勉強をしていたからです。「子どもの時の祈りに主は応えてくださった!」とびっくりしました。

こんな風に何十年もかかることもあります。しかし、「祈り求めるものはすべてかなえられるものと信じなさい。そうすればその通りになる」(マルコ11・24)と聖書にあるように、神さまは私たちの善だけを望んでおられるのですから、祈りをすべて聞いておられ、答は必ず来ます。自分の望む形とは違うこともありますが、その人に一番良いものを与えてくださるのです。希望を失うと大変な損をしてしまいます。