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ぬくもり

森田 直樹 神父

今日の心の糧イメージ

「ぬくもり」と聞くと、子どもの頃に使っていた毛布を思い出します。何の変哲もない毛布なのですが、幼い頃の私にとっては、少し大げさですが、なにものにも代えがたい「ぬくもり」をもたらす毛布だったのです。お休みの日などは、1日中、この毛布の中でゴロゴロしたいなと思っていました。

ところで、私が小学校2年生くらいの冬、我が家にハンガリーからお客さんが一人来ました。名前はカーライさんだったと記憶しています。詳しいいきさつはよく分かりませんが、とにかく、このカーライさんが我が家に泊まることになりました。

日本の古い木造建築でしたから、すきま風が入り込む寒い家です。関西地方でしたから、夜中じゅう暖房をつける習慣もありません。ふと見ると、カーライさんのために、布団が敷かれています。子どもの目から見ても、寒そうな毛布が敷かれています。

私は思いました。遠い国から日本に来て、寒い我が家に泊まってくれるカーライさんに、寒そうな毛布ではとてもかわいそうだ。そうだ、私の自慢のぬくもり毛布で寝てもらおう、と。

そこで私は、自慢の毛布をカーライさんに使ってもらい、代わりに私は彼のための少々寒い寝床に入って寝たのです。

翌朝、両親から、「お前はお客さんの寝床に入って寝てしまっていたな」と笑われましたが、私にとっては、「ぬくもり」をお客さんに分かちあった思いでした。ハンガリーからのお客さんは、ニコニコしながら帰って行きました。

「ぬくもり」を独り占めすることは簡単ですし、ごく普通のことかもしれません。でも、この「ぬくもり」を、もし、誰かと分かち合えれば、もっと多くの「ぬくもり」に包まれることをこの時、私は学んだような気がします。