ふと、春先のある日、公園のベンチに座ってゆっくり過ごした時のことを思い出した。デイキャンプのバーベキューエリアから家族連れの楽しげなざわめきが聞こえていた。明るい陽光が新緑の芽吹いた林や公園一帯を明るく照らしていた。いつもはこの公園をロザリオの祈りを唱えながら歩くのが日課なのだが、こうしてゆっくり時間を取ってベンチに座っていると、お日様の温もりがコートを通して体に伝わって心地良い。
その快さに浸って座っていると、心に詰まっていた厭なことや心配事が氷のように溶けて、何とも言えない楽しい気持ちになった。そして生き返った気分を味わったのである。
最近はスマホなどでカタカナの省略言葉が飛び交い、簡単に人とコミュニケーションが取れる。それは便利で有り難い事かもしれないが、物事があまりにせわしなく表面を滑って行く感じで心許ない。
時にはゆっくり時間を取って互いに話し合ったり、自分の心の奥の本心を見つめたり、自然の中に溢れる命のたたずまいに共鳴したりすることも大切ではないかな・・・と想ったのである。