知識ではなく、知恵の面で体得していたのである。
そんな我家であったから、我家を中心にして、五島の津々浦々から人が集まり、その人々は広くつながっていった。
我家で情報交換が行われ、どこそこの子どもが中学生になるから、学生服やセーラー服が必要となると、我家へつどった人たちが八方手を尽くしてそれらを手に入れ、我家の座敷で手渡してあげていた。
子どもが生まれたとなると、古い浴衣など木綿の布を持ち寄ってくれたし、年老いて身体が不自由になり、オムツが必要になると、また古い木綿の布を持ち寄ってくれた。
沖縄の諺に「奪い合えば足りないが、分け合えば余る」がある。
五島でも沖縄の諺がそのまま生きていたのだ。
縁にもいろいろある。思いついた縁を列記してみると、もちろん私の造語もいくつかあるが・・・。血縁、地縁、職縁、家縁、学縁・・・。しかし、今や血縁も地縁も薄れてきてしまった。さて、何が残るだろうかと、この数日、考えてみた。
思いついた。神縁である。
実は五島の我家もカトリックを縁とした人々の集まりであった。
神縁は永遠の縁である。