年を重ねる

三宮 麻由子

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講演のプランを立てていてふと、私はもう、話をする大学生の親に近い年なんだ、と気付いて唖然としたことがあります。それまでは、なるべく彼らに近い目線で話そうとしていましたが、この年齢ではもはやそれは不可能で、もっといえば不自然でしょう。

そこで正直に、私が学生だったのは1980年代で、みなさんと同じ年齢のときはこういう経験をしました、と話してみたのです。それを踏まえて、いまの現象についてはこう思う、みなさんにはこういう願いがある、と順を追って語りました。

案の定、学生さんからは「昔は大変だったのですね」とのコメントがきて、「昔って言わないでー」と悲しくなったりもしました。

でもそれ以上に、「経験を踏まえた発言に胸を打たれた」、「考えの根拠がはっきり分かって目からうろこだった」など、いま現在に視点をおいた反応が続々と返ってきました。単なる昔話として聞かれていなかったこと、何よりも、現在の私の気持をそのまま受け止めてもらえたことが嬉しく思えました。彼らにとって重要だったのは「いまの」私の考えや話であって、過去に重ねてきた年齢ではなかったのです。

さまざまな衰えから、年を重ねることには重荷が伴います。しかし、いまを生きることの大切さは、いくつになっても変わらないのではないでしょうか。学生さんたちは、そのことを思い出させてくれたのでした。

しばらくして、電車で乗りあった83歳の女性が、「きょうできることをする」と言っておられました。同感です。

いまが重なって年が重なるのです。だから、しっかりした「いま」を重ねていきたいと思います。

年を重ねる

シスター 山本 久美子

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20代、30代の頃までは、「年を重ねる」ということにかなり抵抗があり、今でも、顔のしわや髪に白いものが目立つようになった外観の変化にはショックを受けることも少なくありません。しかし、同時に、年と共に積み重ねてきた経験から教えられる人生の知恵の素晴らしさも実感しています。私は、これまでの経験から、時間をかけて静かに自分自身や日々の出来事をふり返るということを何よりも大切に思っています。

私は、感受性が強く、感情の起伏が激しいので、日常生活の様々な場面で、感情の揺れに動揺して振り回されてしまうことが度々あります。感情が動くこと自体は悪いことではありませんが、一時的な感情で物事を決めてしまうことがあれば、そこからは決して良い結果など生まれないということを、私は経験から痛感しています。

年を重ね、いろいろな体験を踏まえて、私は、どんなに強い感情でも、時が経てば「必ず過ぎ去る」ということを自分自身に言い聞かせ、最近では、たとえ否定的な感情に呑まれそうになる時も、どこかで、感情に揺れ動く自分を冷静に見つめ、「時を待つ」ようにと諭す、もう一人の私がいることに気付きます。

そして、日々、私は、神様の御前で日常を静かにふり返り、落ち着いて自分を見つめる時を持つようにしています。ゆっくり自分の心の動きと、いろいろな出来事を思い起こすことで、少しずつ平静な心に戻されていきます。このふり返りのプロセスの中で、私は、ありのままの私を支え、生かしてくださる父なる神様の現存に心を向け、すべては神様の大きなご計画の中にあることを味わい、信頼していくことに導かれていくのです。


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