「老後は子どもの家族と一緒に住むのが一番の幸せ」と望んでいましたが、今、私は子どもたちが巣立った家で一人暮らしを楽しんでいます。還暦過ぎてからのアメリカ留学で自立心を鍛えられ、責任と自由に生きる喜びを知ったからです。それには健康が大切と食事や運動などに気をつけて、何とか元気に暮らしています。
昨年は1月に、高知市で卒業間近の女子高校生たちに、「写真で辿る『てのひらのしあわせ』~おてんばちいちゃんの歩んだ道・これからの道~」と題して私の半生の話を紙芝居のようにお話ししてきました。4月には岐阜県の町の生涯教育講座で、更に5月には福島県南相馬市の原発被災地のサロンで同じようなお話をさせていただきました。
「チャレンジ精神を学んだ」とか、「人生60歳から!と愉しくなった」などと喜ばれて、困難の中、明るく助け合って生きる現地の方たちから、私もたくさん学んだことです。
これからも「人生は全てが学び」と前向きに、感謝の日々を過ごしたいものです。
日本人には「恥の文化」というものがあり、自分を褒めることはあまり得意ではないかもしれません。ですが、時には、鏡に映る自分の顔や、仕事帰りの電車で、疲れて座る自分の姿に、〈よくがんばっているね〉と心の声で自ら語りかけると、不思議な優しさに包まれるかもしれません。そんな密かな囁きは、目には見えない慈しみに澄んだ「同伴者イエス」のまなざしや声に、重なるでしょう。
私は現在、41歳です。「40にして惑わず」とはいきませんが、特に惑いや悩みの多かった10代、20代の頃には、〈あのとき、あの場面で、あのようにすればよかった〉と思うことがたくさんありました。しかし、40歳になったとき、この若い時代の葛藤が確かな土台となり、これまでの経験を生かすためのスタートラインに立ったのだ、と感じることができました。きっと人は、それぞれの失敗や反省の体験を繰り返しながら、らせん階段をゆっくり上ってゆくように成長し、創造的に進化をしてゆくものだ、と信じます。
もし、タイムマシンがあったなら、私は思春期の自分に会いにゆき、そっと風の声で囁きたいのです。不安げにうつむいて夜道を散歩するあの頃の青年に、〈辛いね。でも大丈夫、人生捨てたもんじゃない。あきらめなければ、君の未来は明るいよ〉とーー。