この与えられた貴重なタイミングに、今まで生かされてきた自分の"いのち"を省み、感謝の念とともにその行く末を見極め、栄えあるゴール目指して、第2、第3のスタートを切りたいものであります。これこそ、高齢長寿社会の恵まれた特典であり、一つの「若返り」であります。
これに反して、この恵まれた時代、若い人が「人間関係に悩んでいる」「死にたい」と、自ら命を絶つ悲痛な事件が後をたちません。なんとも、悔まれてなりません。
願わくは、軽視されている「徳育」を見直し、幼少の頃より一貫した人の道、倫理、道徳を身につけさせねば・・というのが、徳育を散々受けた昭和1桁生まれの考えですが、これには、別のアイデアが多くあることでしょう。
いずれにせよ、聖書にあるように「白髪になっても、なお実を結び、命に溢れ、生き生きし」(詩編92・15)た心を養い続けたいものであります。
言葉を変えれば、人生とは人と人との出会いと別れ、新しい出来事との出会いの連続でもあります。新しいことを待ち望み、それを受け入れていく心さえ失わなければ、私たちの毎日は、新しさに満ち満ちています。それがたとえ、毎日の変わらない日常風景であっても、全く同じ瞬間はありえないのです。
そして、聖書のことばを読むとき、また、神さまとの祈りのうちに過ごすときも、このような新しさに気付く瞬間です。全く同じ聖書の個所を読んでも、また、いつもと変わらないような祈りのひと時であっても、心がけ一つで、常に新しさに気付かされます。わたしの心に語りかける聖書のことばは豊かになり、神さまとの語らいも深まっていきます。ひと言で言うと、神さまとの出会いもまた、新しさに満ち満ちています。
「積み重ねていくこと」とは「変化」が伴っていくのではないでしょうか。もちろん、自分自身が全く変わらない、という選択もできますし、年を重ねるにしたがって変わることへの抵抗もあります。しかしながら、変化を受け入れながら、確実に何かを積み重ねていくならば、わたし自身は変えられていくのだと思います。