年を重ねる

遠山 満 神父

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先日、自分の足の爪をニッパで切りながら、以前、介護職の方達が、高齢者の方たちの爪をニッパで切っておられるのを見て、「良い考えだな」と思ったことを思い出しました。心は若いつもりでいても、身体は正直だなと思います。

私に洗礼を授けて下さった神父様が、叙階50周年のお祝いの席で、「今、人生の黄昏を迎えています」と挨拶されました。それに対して、この神父様より少し若い神父様が、「永遠の命から見れば、神父様は、今、曙を迎えようとしておられます」と祝辞を述べられました。お祝いの会の最後の時、今度は先の神父様が、「確かに私は、永遠の命から見れば、曙を迎えようとしているのだと思います」としみじみと語られました。

フランシスコ・ザビエルも、この神父様方のような考えを抱いていました。それは、彼の友人であった忍室という僧侶との対話から明らかです。2人の対話は、大まかには次のようなものです。

ザビエルが忍室に尋ねました。「若い事と年老いている事、どちらが良いですか」。忍室は、「若い事」と答えました。続けてザビエルは尋ねました。「それでは、船が目的の港に近づいている時とまだ遠く離れて波に翻弄されている時と、どちらが良いですか」。忍室は、「目的の港に近づいている時」と答えました。これに対してザビエルは、「それなら、人生の目的の港に近づいている老年の方が良いのではないでしょうか」と尋ねました。忍室は、この問いに、「実は自分はまだ、目的の港がどちらなのか知らないのです」と答えたのだそうです。

高齢になると、希望を失いがちですが、ザビエルのように考えれば、私達は何時までも生き生きとした人生を過ごせるのかもしれません。

年を重ねる

古川 利雅 神父

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赤、青、黄色、この3色を混ぜると黒色に。そして赤、青、緑、この3つの光を合わせると白い光になります。この様に色や光を重ねると変わってゆきますね。

「年を重ねる」場合はどうでしょうか。例えば木。木は1年の中で、成長が盛んな時、ゆっくりな時があり、年輪となって、年を重ねる毎に一つづつ増えてゆきます。

では私たちはどうでしょう。幼稚園の年少さんが、4月から新しい年度を迎えて年中さんになると、自分のことだけで精一杯だった子たちが、小さな子の面倒も見れるようになり、お兄さんお姉さんに成長してゆきます。少しづつ少しづつ。このように私たちも成長し、年を重ねてゆくのではないでしょうか。

年を重ねるにつれて成長するもの、深まるものも多いのですが、成長が止まり、薄くなり、忘れ去り、なくしてしまうものもある様に思います。昔はとても人に優しかったのにネ、こんなことを言われたことはありませんか。もしかすると、自分でも気付かぬうちに大切なものを、手放してしまったのかも知れません。

私はどの様に年を重ねているのだろうか、どの様に年を重ねてきたのだろうか。ふと立ち止まって振り返り、新たに歩み出すのは大事なことの様に思います・・・。

私たちは常に変えられてゆきます。あの人は若い頃、とても厳しかったけれど、今は角が取れて丸くなった・・・。きっと何かがその人のうちに起こったのですね。様々な出来事や出会いがあって、変えられたのかも知れません。もしかすると、何かを悟ったのかも知れないですね。

一人一人、歩みは異なりますが、よりよく年を重ねられれば嬉しいでしょうか。目の前にある今日という日を大切に過ごしながら、年を重ねてゆきましょう。


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