まだ小さいときは1日に10回ほど唱えるのが精いっぱいだったが、大人になると一周することができた。何周もくり返し祈ると一定のリズムが生まれ、ますます祈りやすくなる。不思議な慰めに満ちた祈りだ。20代の頃は、聖母にそれほどの親しみを感じていなかったが、それでもなぜかロザリオは好きだった。ロザリオで祈ったことはいつも聞き届けられたからかもしれない。
ロザリオは私の両親が愛していた祈りでもある。母は、赤いハート型のガラス玉がつながったロザリオ、父は、プラスティックの薄緑色のロザリオで祈る姿をよく見かけた。ロザリオの月と呼ばれる10月は、夕の祈りの後に私たち家族はそろって並び、一緒に祈った。両親が聖母マリアへの崇敬を示してくれたおかげで私の心には聖母の存在がしっかりと根を下ろしている。
今も毎日毎日「お母さん、あのねぇ」と聖母マリアに語りかける気持ちでロザリオを祈っている。