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年を重ねる

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

普通、年を取ると言います。年齢が減っていくわけではないので、年を重ねるというほうが自然なのではないでしょうか。

不思議ですね。樹木は年輪を重ねるといい、何となく趣があります。樹齢何百年といわれると、何だかその樹の前で頭を下げてしまいます。

ある本を読んでいたら、神さまは人間の体の命を優に300歳まで生きられるように創造されたとありました。ところが人間は、体を乱暴に取り扱い、不摂生な生活をするので、100歳位で死んでしまうというのです。

体の健康を大切にし、節度ある生活の仕方を心掛けるならば、仮に短命だとしても、その人の人格は熟成し、神の愛する子として成長するのではないでしょうか。

 

年を重ねるのは、樽の中のお酒のように、人生という樽の中で神の子らしく熟成していくためではないでしょうか。何事も一足飛びに目的に達することはありません。試行錯誤をしながらも、らせん状を描きながら、一歩一歩進歩していくものなのです。努力も要り忍耐も必要です。

わたしのようにせっかちな人間は、待っているとよくイライラしますが、そんな時には、気を散らして、外の景色や部屋の置物を見たりしています。すると、時はすぐやってきます。「時間は意識です」とアウグスティヌスという聖人は言いましたが、誠にそうだと思います。

年齢を重ねていくたびに、円満な人格に熟成していけばいうことないのですが、大抵は馬齢を重ねるごとに、老醜をさらけ出すことになります。

人生を謙虚に生きるために、我執を捨てて無になっていきたいものです。