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年を重ねる

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

わたしは、どちらかと言うと怒りっぽい方だ。物事が自分の思った通りにならないと、それを相手や環境のせいにして腹を立てる。「神父なのに、こんなことではいけない」と思っていろいろ反省しているうちに、最近ようやく気づいたことがある。それは、物事が自分の思った通りにならないからといって、いちいち腹を立てても仕方がないということだ。腹を立てている暇があれば、その状況の中で自分に何ができるかを考えた方がいい。

たとえばミサの説教のとき、「これは我ながらよくできた説教だ」と自信満々で話したのに、会衆の反応がよくなかったとする。そんなとき、「この説教のよさがわからないなんてけしからん」と会衆に腹を立てても仕方がない。説教が相手の心に響かなかったのは、相手のせいではなく自分のせいなのだ。どこがよくなかったのかを謙虚に反省し、次回からもっとよい説教ができるよう心がけるのがいい。自分の落ち度を相手のせいにして、独りよがりな説教を続ければ、会衆の心はますます離れてゆくだろう。神父が会衆に恨みを募らせ、会衆が神父に不満を膨らませれば、教会の分裂にさえつながりかねない。

そもそも、物事が自分の思った通りにならないからと言って腹を立てるのは傲慢だろう。「何事も自分の思った通りになるはずがない」ということを前提に、謙虚な心で物事と向かい合ってゆくのがいい。腹を立てている暇があれば、その状況の中で自分に何ができるかを考えるようにする。それさえ習慣にできれば、日々の生活の中での怒りは十分の一に減り、家庭や職場に平和がやって来るに違いない。現実を自分に合わせることはできなくても、自分を現実に合わせることはできるのだ。