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年を重ねる

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

だれしも、「いつまでも、元気で、若く、ありたい」と、願っています。「年を重ねる」と、自然、「老いる」。これは、いかんともしがたい被造物の運命、だれもが納得せざるをえない"神の摂理"と言えます。

「老いる」という言葉を辞書で検索しますと、「年とること」、また、「その結果、心身が衰えること」とあります。そして、万葉集の「くやしくも老いにけるかも」という例文が、いみじくも紹介されているのが目につきました。万葉時代の平均寿命は、いくつぐらいであったか、気になるところですが、21世紀の今日においても「くやしくも老いにけるかも」と、こう感じ始めている人々がたくさんおられるに違いありません。これも摂理、神の見そなわすところかもしれません。

この与えられた貴重なタイミングに、今まで生かされてきた自分の"いのち"を省み、感謝の念とともにその行く末を見極め、栄えあるゴール目指して、第2、第3のスタートを切りたいものであります。これこそ、高齢長寿社会の恵まれた特典であり、一つの「若返り」であります。

これに反して、この恵まれた時代、若い人が「人間関係に悩んでいる」「死にたい」と、自ら命を絶つ悲痛な事件が後をたちません。なんとも、悔まれてなりません。

願わくは、軽視されている「徳育」を見直し、幼少の頃より一貫した人の道、倫理、道徳を身につけさせねば・・というのが、徳育を散々受けた昭和1桁生まれの考えですが、これには、別のアイデアが多くあることでしょう。

いずれにせよ、聖書にあるように「白髪になっても、なお実を結び、命に溢れ、生き生きし」(詩編92・15)た心を養い続けたいものであります。