人としての評価は、先のことわざに表現されるように、「人となり」に負うところが大である。であれば、学業もさることながら、人としての成熟度はもっと大事になってくる。
幼いころの育ちは、親御さんの立ち居振る舞いが、育ちの「教師」になる。いわば、「子育て」は「親育ち」と表裏一体ということができる。
そもそも大人と子どもはちがう。したがって、考えること、感じることも違ってくる。つまり、人にはそれぞれ、その時期、年齢にしか見いだせない成長段階があるという。その時を逸すると、完成されないまま通り過ごしてしまう。だから、幼児期の「子育て」は十分な配慮が必要なのだと言われる。
いつの時代もそうであろうが、人の育ちの教科書は、親であり、教師であり、大人であり、先輩であり、仲間であろう。すなわち、自分の身近で、「生き字引」とのかかわりができるということである。
イエスの弟子たちには、「イエスさま」がいた。そのかかわりの実りが、弟子たち自身の生涯に表現されている。イエスの言動のすべてが、「弟子育て」であった。
さて、今のわたしの育ちの実りはいかほどであろうか。人として信仰者として。