何か特別なことが起こる日が、待ち遠しくて仕方がない。誰しもそんな体験があるだろう。待ちわびている時間、たとえばフグ鍋なら「初めて食べるフグ鍋。一体どんな味なのだろう」とにやにやしながら想像している時間は、もうすでに特別な時間だ。やがて来る幸せを待ちわびている時間は、もうすでに幸せのうちと言っていいだろう。
キリスト教徒は、いつかやって来るという「神の国」を待ちわびている。その国では、世界中のすべての人々が仲良く平和に暮らし、誰も差別されたり、無視されたりすることがないという。すべての人が同じ「神さまの子ども」として大切にされ、互いが互いを敬いながら兄弟姉妹のように暮らすという。そんな世界を想像していると、自然に笑顔が浮かんでくる。天国に行かなくても、天国の喜びを先取りすることはできるのだ。天国の喜びを先取りし、いつも幸せな笑顔を浮かべて生きている人の周りには、自然と笑顔の輪が広がってゆくだろう。そのようにして広がってゆく幸せこそ、やがてやって来る「神の国」の先取りであるに違いない。