1日として忘れられずにいた。
ある日、母に連れられてその家へ遊びに行った。
「もう泣くなよ。あん子はさ、格別よか子じゃったけん、まっすぐ天国に行っとるとよ。そしてさ、あが(あなた)やとうちゃんがために祈りよっとよ。そしてさ、あがどんが天国へ来る日のために、天国で場所ばとって待っとっとよ。じゃけん、この世でさ善か行いばして、天国へ行かんばよ」と母は言っておばさんを慰め、励ましていた。
いつしかおばさんも元気になり、教会のためによく尽くしてくれるようになった。
息子が早くに天国へ行って、自分たちのために場所を取ってくれていると思うと元気になって日々を生きようと思ったらしかった。
人生の中で先取りすることは沢山ある。
母は「今日のことは今日のうちに、それでも余力があったら明日の分もしておけよ」と日常の些事の先取りを教えてくれた。
しかし、人生の最終目的は天国へ行くことであると、子どもの頃「公教要理」で学んだ。
私のゆかりの人たちで亡くなった人たちのことを思うと、どの人も天国で暮らしているだろうことが想像される。その人たちが、あとに続くゆかりの人たちのために、せっせと天国の場所を先取りしてくれていることを想像すると、心楽しくなってくる。