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先取りする

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

幸せを先取りしたいと思えば、まず幸せになること、と答えるのですが、理屈を言っているようで嫌なのです。しかし、幸せというのは、「棚から牡丹餅」というわけにはいきません。

「マタイ福音書」にある山上の説教の中で、主イエスは、「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」(5・9)と言われました。平和は黙って座っていて、与えられるものではありません。また、「平和、平和」と口に出していれば、訪れるというようなものでもありません。平和でありたければ、平和を作らなければなりません。つまり、平和を創造することです。どういうことかというと、仲違いしている人と握手し、一緒に平和な共同体を創るよう、共に努力することではないでしょうか。それは小さなグループで始まります。

同じように、幸せでありたければ、幸せになったつもりで語り、行動することです。わたしは、こういうことを自分のキリスト教グループで、説教するだけでなく、自ら率先して実行し、お互いに実践しあうことができるようにしています。たとえば、バレンタインデーの日が来ると、何人かの人は先生にチョコレートをプレゼントします。わたしはチョコが食べられないので、他の日に他の人に、そのチョコをプレゼントします。そして、クラスの皆さんには別の日に、独自にクッキーをプレゼントして、フィクションを交えながら、聖バレンティーノが貧しくて困っている人々に、彼らのプライドや気品を損なわないように、上手に贈り物をした物語りをして、「愛は与える」ことだというふうに締めくくります。

「善は急げ」という言葉が好きなわたしは、「先取り」をそのように解し、努めてきたつもりです。