私の所属教会は鎌倉のカトリック雪ノ下教会で、教会を出て振り返ると、青空をバックに教会の三角屋根の高い位置に飾られてある「絶えざる御助けのマリア」のイコンのモザイク画が輝いて見えます。まさに私たちの御母と感じる瞬間です。
私たち、即ち人類の母となれば、恐らくキリスト教徒でなくてもマリア様と答える方が多いでしょう。
古今の西洋名画に見られるマリア様は、それぞれ描かれた時代の理想の女性像ですし、音楽の「アヴェ・マリア」は、バッハ、グノー、モーツァルト、シューベルトを始め、カッチーニから現代のアンドリュー・ロイドウェバーに至るまであまたあり、どの曲も甲乙付け難い名曲です。歌詞は天使祝詞かアベマリアと唱え続けるものなので、それぞれ趣の違う美しいメロディーには作曲家の個人的な祈りが込められている事を感じます。
神仏に頼ってきた日本人が、16世紀キリスト教伝来により、平等に生かされている人間という考え方を知った時、キリストの母が私たちの母だという事はどんなに嬉しかったことでしょう。17世紀から250年も続いた禁教の弾圧の日々を、マリア様になぞらえた観音菩薩を、信仰の支えとして生き延びた、キリシタン浦上信徒の「サンタマリアの御像は何処?」とは、母を捜す言葉でした。