故郷に戻った後、しばらくは平和な生活が続いたようです。その姿は「ガリラヤの主婦」とも言えるでしょう。
飼い葉おけに寝かされていた子どもは成長し、父親の家業を手伝いながら、ある日、多くの人々に神さまの愛といつくしみを告げるために、母のもとを去っていきました。「旅立つ息子をただ見送るしかなかった母」となりました。
この息子は、濡れ衣を着せられ、人々のあざけりを受けて十字架にかけられてしまいました。この方は「死刑囚の母」となり、心の中に大きな悲しみを刻み付けられることとなりました。
十字架にかけられた息子は、不思議なことに、その弟子たちに現れ、祈る共同体ができました。その中にこの方もいたと言われます。「教会の母」として、自分の息子が救い主であると信じ、その弟子たちと祈り続けました。
この方はその生涯の終わりに天に上げられたと信じられています。いわゆる「栄光の母」となられたのです。
この方の生涯を振り返ると、まさに波乱万丈の生涯でした。それゆえ、聖母マリアは「わたしたちの『お母さん』」として存在し続けるのです。