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私たちのお母さん

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

多くの人間関係の中で、母と子の関係ほど、特別緊密、繊細デリケート、かつ貴重なものは、ありません。母親なしに子の存在はなく、子にとって母は、この世における最初の出会いの人であり、赤子の前途にかかわる唯一貴重な人間関係のスタートとなります。それだけに、社会的にも、注目され、重要視されています。中には、事情があって、母親がいなくなったという赤子もいますが、母に代わる関係者の深い愛情と気遣いによって育まれます。

子供が自然に、「ママ!」とか「お母さん!」と発する母親への呼びかけほど、懐かしさ、甘え、信頼、尊敬、従順、懇願など、言い尽くせない、あらゆる感情や深い思いが込められた言葉はないように思います。

辞書によれば、「お母さん」とは、子供が親しみと敬意をこめて母親を呼ぶ言葉。京都など上方の中流以上の家庭の子供が使っていたもので、明治末期の国定教科書に使われて一般に広まりました。「お母さん」の語源は、武士の母や妻を意味する「御方様」。この言葉を使って、夫が妻を「かたさま」というようになり、子供がこれをまねて「かかさま」「かあちゃん」「おっかあ」などと呼び始め、結局、「お母さん」に落ち着いた次第。ちなみに、この言葉は本来、二人称の呼びかけ言葉、第3者に自分の母を紹介する時は、あえて「母」と言い換える"ゆかしさ"も持ち合わせたいものです。

ところで、イエス・キリストの母は、言うまでもなく、聖母マリア。カトリック教会では、聖母を崇敬し、聖母を教会の母、広く人類の母であることを強調しています。従順、信仰、希望、懇願と賛美を神に捧げる、完全祈りの人、この聖母のみ心に合わせ、ともに人々の平安を祈りたいものであります。