「あら、ヒヨドリの子供」
と私たち三人はほっこりした気持になりました。
するとそのヒヨドリが、母の背負っていたリュックに止まって、ヒーヨ、ヒーヨと鳴きはじめたのです。
「どうしたの? よしよし」
母が声をかけると、それに応えるようにヒーヨ、ヒーヨ。怖がらせないように、母は身動きせず静かに語りかけていました。
「困ったわねえ、動けないわ」
父と私は、これまた雛を驚かさないように声を立てずに大笑い。一頻り母に甘えてから、小鳥はハタハタと羽音を残して飛び立っていきました。
母の優しさというものは、動物の種類を超えて通じるのかもしれません。それほど普遍で深いものなのでしょう。
そういえば、盲導犬の赤ちゃんたちに母犬が乳を飲ませているのを見たとき、私は自分の母も私をこうして受け止めてくれていたのだと突然思い、自分の命が裸にされたような、ドキリとする気持になりました。
それでも、子供はいつか独り立ちし、どんなに偉大な母にもどうしても助けられない問題と戦っていきます。あのヒヨドリの雛のように。さまざまな事情から、母の温かさを経験できないまま巣立つ人もいます。
母を思うとき、自分の立ち位置を問い返される気がして、襟を正す私なのでした。