ただ、右近が望んだものは、大名としての地位や財産ではなく、キリスト者として生きることでした。
それゆえ、時の権力者がキリスト教を迫害し出し、各地のキリシタン大名が次々と信仰を捨てても、右近だけは頑として応じませんでした。地位や財産を捨て、信仰をまっとうする道を選んだのです。
そして、ついには国外追放となり、辿りついたフィリピンのマニラで、病気のために帰天します。
この右近の生き方は、現代の私たちを照らす光を与えます。
現代の日本では、キリスト教信者が表立って迫害されることはありません。しかし、状況は違っても、神不在の物質主義、科学万能主義、快楽主義が蔓延し、信仰が軽んじられる難しい時代に、私たちは置かれています。
その中で、自分の地位や名誉を損ない、社会的に不利な立場となっても、信仰を表明し、信仰に応じた生き方を貫くことは簡単なことではないでしょう。
右近は、困難な状況の中、キリストのように生きることを第一に考え、行動していきました。その結果、この世の限りある富を失っても、天国での永遠の栄冠を勝ち得たのです。
私もまた、右近に倣い、自分の役割を果たしつつ、キリストのように生きることができればと願っています。