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自分らしく

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

キリシタン大名としてよく知られる高山右近の殉教の生涯が認められ、この度、福者の位にあげられることになった。殉教者と聞けば、迫害を受けた果てに殺害されるといった、壮絶な生涯を私たちはイメージしがちだ。だが、高山右近はキリシタン追放令の下で、不遇な人生に耐えぬいた人で、いわば生き続けることに殉教があった、静かなる殉教者だったようである。

右近は戦国の武将としても立派であったが、6万石の領地と財産をすべて棄て、信仰を守って生きることを選んでいる。魂の人として生きようとしたのだろうか。

魂の声を聴き、それに従って生きるのは大変に難しい。現代人である私たちも同じである。魂は大事なことほど小さな声で囁くので、静かに自分自身を澄ませていないと聞こえない。そしてしばしば、声は私たちにより困難な道を行くように指し示す。

だが、その道が私たちの道なのだ。

或る医師が、1日の仕事を終え、疲れて帰宅した。やっと休めるという時、病院から電話がかかってきた。相談事を抱えて、医師に面会を求めて来た人がいたのである。降る雪の中を、彼は病院に引き返して行った。電話で話を済ませることも、面会を断ることも出来たであろうが、彼の魂のようなものが、そうさせなかったのだろう。聖人や福者には及びもつかなくても、このようなささやかな行為で、人は魂に答えているのである。

ささやかなことを積み重ねて、私たちは困難な道を行く。時々は怠けて楽をする。それからまた、魂のことを思い出し、自分らしく歩いて行く。