旅立ち

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

夏休みの家族旅行、部活の合宿旅行、夫婦の記念旅行、それらの旅行の出発に「旅立ち」という言い方はあまりしません。

「旅立ち」というと、つい「人生の」とか「未知への」という言葉を前につけたり「の時」とか「の決意」という言葉を後につけて使われる事が多いようです。人生の旅立ちは様々な節目に訪れます。

幼児から学童になるのは子供にとって人生初めての旅立ちでしょう。やがて学生になり寮生活や下宿生活を始めるため両親と離れ家を出るとなると本気の旅立ちですし、就職や結婚での自立はもう後戻りが出来ない「旅立ち」というより「巣立ち」と云うべきでしょう。

人は、此の世に生を受けた瞬間から複数の人々に支えられて人生を始めます。一生涯に亘り関わりを持つ人はそんなに多くはありません。出会いと別れを繰り返し、関わる人から学び、助け合い、時に反面教師にし、自分なりの人生を作っていきます。それまでの居場所を後にして新しい未知なる人々との場を求めて一歩を踏み出すことには勇気が必要ですし、事前の綿密な用意が必要です。人生の中でより良い「旅立ち」を重ねるには、自分ひとりで生きていけるという自信と、どんなキャラクターの人とでも会話できる自然体を貫く勇気、好奇心と親切心を併せ持つことが不可欠です。

1人だからと自覚してパスポートと貴重品はしっかり身に付け、言葉が通じなくても、身振り手振りで相手に伝わるまで丁寧に会話して、思いがけない現地ならではの体験が出来るという、1人旅で行く海外旅行に例えられるでしょうか。

海外で一番安心して1人で居られるのは教会です。そう、神様がいつも共に居て下さるという信頼こそが良い「旅立ち」を可能にするのです。

旅立ち

遠山 満 神父

今日の心の糧イメージ

イエス様は、最後の晩餐の席で次のように言われました。「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、私をも信じなさい。私の父の家には住む所が沢山ある。もしなければ、あなた方の為に場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなた方の為に場所を用意したら、戻って来て、あなた方を私のもとに迎える」。(ヨハネ14・1~3)

私達はこの世の命を終えた後、イエス様のもとに迎え入れられます。それは、イエス様のもとでの永遠のホームステイとも言えるのではないでしょうか。

以前、私が教鞭を執っていた小学校で、6年生の子供達に、親元を離れて永遠のホームステイに出かけるとしたらどんな所が良いかと尋ねたことがあります。ほとんどの子供は、親戚の家、あるいは友達の家、つまり気心の知れた所が良いと答えました。永遠のホームステイに出かけるとしたら、相手先と少しでも連絡を取っておくことや、先方の家風がどんなものかを予め調べて、それを身につけておくことが必要になるかと思います。

天国と地獄の寓話があります。地獄には、大きなテーブルがあって、そこに世界中の御馳走が並んでいました。ただ、そこでの決まりは、1・5メートルの長いフォークや箸などで食べねばならないことで、自分の口に食べ物を入れることのできない、ここの人たちは、腹を空かせ互いに争い合っていました。他方、天国にも同じ御馳走、同じ決まりがありましたが、ここの住人は、自分の口に入れる代わりに周囲の人たちの口に入れてあげ、互いに助け合っていました。

この世の旅立ちは何時になるのか分かりませんが、ただその時まで、イエス様のいらっしゃる天国の価値観を少しでも身につける事が出来たらと思います。


前の2件 2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12