これが海外出張や旅行となると、その不安や危険はなお一層大きく、残念なことに"命がけ"と言っても過言ではありません。見送る家族も、本人以上に不安を感じ、「今どこにいるの?大丈夫?」と、メールや携帯で頻繁に問い合わせをしないではおられません。家族は、旅立った者が、帰国するまで安心できず、「どうか、安全でいますように」と、真摯な「祈り」が続きます。そもそも、人生は、いわば、はかない命の旅路、誕生の瞬間から臨終の時まで、いくたび、あらゆる「祈り」が、自ずと生まれ、祈り、祈られていることか!
いったい、このような「祈り」とは、なにか?
いみじくも、19世紀フランスのカルメル会修道女、幼いイエスの聖テレジアは、「私にとって、祈りとは、心のほとばしり。天に向ける素朴なまなざし。辛いときにも、嬉しいときにも、天に向けてあげる、感謝と愛の叫び」と、述べています。また教会は「祈りとは、心を神にあげること、ふさわしい善を神に願うこと、祈るのは、心、心が神から離れているならば、祈りの言葉はむなしい」と、説いています。み旨にかなった祈りとともに、常に平安をもたらしたいものであります。
しかし、意外にも隆は、当時設立されて間もない長崎医科大学に進学しました。もし隆が長崎に行っていなければ、その後の運命はまったく違うものになっていたのは確かです。
原爆の被害を受けることもなく、ゆえに『長崎の鐘』や『この子を残して』など、平和を訴える著作を書くこともなく、それらの本が世界中の人に読まれ感銘を与えることもありえませんでした。
それ以前に、おそらく、カトリック信者になってはいなかったでしょう。
永井博士の立派な生涯とは比べるべくもないのですが、私も18歳の時、生まれ故郷の山陰から長崎に大学進学のため旅立っていなければ、その後の人生はまったく違っていたと断言できます。おそらくカトリックの洗礼は受けていませんでした。ゆえに、その後、カトリックの精神に基づく学校に勤めることも、キリスト教関係の本を書くことも、この「心のともしび」にエッセーを寄稿させていただくこともありえませんでした。
新しい世界への旅立ちによって、私たちは未知のもの、未知の人に出会えるものです。キリストの教え、その教えを信じる人たちに出会えるチャンスもあるでしょう。その様々な出会いを通して、より幸いな人生に導かれるようにと願っています。