旅立ち

松浦 信行 神父

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それは、神父になりたての頃、ある保育園の夏祭りの出来事でした。私は、園長先生から人手が足りないからと、シスターの経営する老人ホームや病院などの複合施設合同の夏祭りに、保育園の2人の子供を連れていく途中だったのです。

保育園から夏祭りの会場までは、すぐ近くなのですが、私は、道の途中ですぐ横に深い川が流れていたのが気になっていました。子供たちは、夏祭りに行けると元気にはしゃいでいましたが、私のほうは子供たちが誤って川に落ちはしないかと心配でした。

それで、私はしっかりと子供たちの手を両手に握って歩いていました。ところが、いくら握っていても、子供たちのほうは私の手を引き離したくて、あっちへこっちへと暴れ、私のほうが振り回されているといった感じでした。

その時です、私の哀れな姿を見ていたのでしょうか、1人の年老いたシスターがすーと寄ってきて、こう言ったのです。「神父さん、子供の面倒を見たことがないね。こんな時は、手を放してやりなさい。子供でも危険は知っているから、川には落ちはしないよ。手を放して、ちょっと後ろのほうに離れて見てるだけにするのよ。」

経験豊かなシスターが言うのだからと、恐る恐る手を放してみました。すると、子供たちはさっきの騒ぎは嘘のように、前に向かって自分でしっかりと歩き始めたのです。

「ほらね!固く握れば握るほど、子供は暴れるものよ。わかった?」そういって、そのシスターはさっと前へ歩いていきました。それから私は、子供たちの後ろで、シスターから言われた通り気を付けながら見守っていたのでした。子供たちはのびのびと夏祭りを味わっていました。

旅立ち

堀 妙子

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「旅立ち」という言葉を聞くと、私が就職するために郷里を離れることになった時の祖母の姿を思い出す。

その日は、3月だというのに雪が降っていた。祖母は体の具合が悪いのに、玄関の外まで出て来てしゃがみこみ、着物の前掛けを顔に当てて泣いた。両親は一人前になった娘が家を出て行くのは自然なことなので、寂しくはあっても明るかった。私が父の車に乗って出発し、後ろを振り返ると、祖母はまだ玄関先にいて前掛けで涙を拭っていた。

祖母は心筋梗塞で倒れてからは、家と病院以外はどこにも行けなかった。そんな祖母を私は小学4年生の時から介護してきた。

祖母は、私が大学を卒業して実家に帰ってきたとき、不思議なことを言った。「この子はとても恵まれていて幸せだから、自分は幸せになりたいとは思わないはずだ」と。

父に駅まで送ってもらいながら、旅立ちを見送る側の辛さを思い起こしてはいたが、ふと祖母の言葉が心に浮かんだ。祖母は私の旅立ちの時より前に、素晴らしい餞けの言葉を贈ってくれていたのだ。

今、自分の人生を振り返ってみると、ずっと自分の使命に飢え渇いていたと思う。さまざまな仕事に就き、さまざまな出会いがあり、親の病気で人生が一変したりしたが、それらの長い暗夜を経て、私は今、真の使命に出会った。それは子どもたちの心に、からし種を蒔くこと。聖書には、どんな種より小さなからし種は、成長すると空の鳥が止まりにくるほど大きくなると書いてある。

祖母が告げたかったことは、私は十分幸せだから、幸せを蒔く人になってほしいということだったのだ。

どのようなからし種かと言えば、「愛する」という人間に与えられた最も尊い種を蒔こうと思う。


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