それで、私はしっかりと子供たちの手を両手に握って歩いていました。ところが、いくら握っていても、子供たちのほうは私の手を引き離したくて、あっちへこっちへと暴れ、私のほうが振り回されているといった感じでした。
その時です、私の哀れな姿を見ていたのでしょうか、1人の年老いたシスターがすーと寄ってきて、こう言ったのです。「神父さん、子供の面倒を見たことがないね。こんな時は、手を放してやりなさい。子供でも危険は知っているから、川には落ちはしないよ。手を放して、ちょっと後ろのほうに離れて見てるだけにするのよ。」
経験豊かなシスターが言うのだからと、恐る恐る手を放してみました。すると、子供たちはさっきの騒ぎは嘘のように、前に向かって自分でしっかりと歩き始めたのです。
「ほらね!固く握れば握るほど、子供は暴れるものよ。わかった?」そういって、そのシスターはさっと前へ歩いていきました。それから私は、子供たちの後ろで、シスターから言われた通り気を付けながら見守っていたのでした。子供たちはのびのびと夏祭りを味わっていました。
祖母は心筋梗塞で倒れてからは、家と病院以外はどこにも行けなかった。そんな祖母を私は小学4年生の時から介護してきた。
祖母は、私が大学を卒業して実家に帰ってきたとき、不思議なことを言った。「この子はとても恵まれていて幸せだから、自分は幸せになりたいとは思わないはずだ」と。
父に駅まで送ってもらいながら、旅立ちを見送る側の辛さを思い起こしてはいたが、ふと祖母の言葉が心に浮かんだ。祖母は私の旅立ちの時より前に、素晴らしい餞けの言葉を贈ってくれていたのだ。
今、自分の人生を振り返ってみると、ずっと自分の使命に飢え渇いていたと思う。さまざまな仕事に就き、さまざまな出会いがあり、親の病気で人生が一変したりしたが、それらの長い暗夜を経て、私は今、真の使命に出会った。それは子どもたちの心に、からし種を蒔くこと。聖書には、どんな種より小さなからし種は、成長すると空の鳥が止まりにくるほど大きくなると書いてある。
祖母が告げたかったことは、私は十分幸せだから、幸せを蒔く人になってほしいということだったのだ。
どのようなからし種かと言えば、「愛する」という人間に与えられた最も尊い種を蒔こうと思う。