その日から、N君への悪戯はなくなりました。
それだけではなく、小児麻痺の為、いつも車椅子で母親と登下校するU君に関わり、手伝うクラスメートが増えていきました。
U君は毎日、放課後になると歩行器に掴まり、夕陽の射す廊下をゆっくり歩く練習をしていました。やがて卒業式の日。卒業証書授与の時、担任の先生がU君の名前を呼ぶと、「はい!」という返事は体育館内に響き渡り、車椅子から立ち上がったU君が慎重に歩みを進め、その姿を全校生徒がじっと見守りました。校長先生の前に辿り着き、両手で卒業証書を受け取った瞬間、体育館は無数の拍手に包まれました。U君のお母さんはハンカチで目頭を押さえていました。
あの頃から30年の年月は流れ、クラスの仲間達はそれぞれの人生を今日も歩んでいます。そして、これからも、先生が道徳の授業で語ったあの思いを、私達が忘れることはないでしょう。
「これから一体どうなるのだろう。わたしの選択は間違っていなかっただろうか」、そんな思いが、何度も胸中をよぎった。衣類や洗面道具、聖書を入れたスポーツバッグが、肩にずっしりと食い込んでくるようだった。修道院に続く長い坂道を上り終え、修道院の呼び鈴を押すまでの重苦しい感覚は、いまでもはっきり覚えている。
あれはもしかすると、神父への道を妨害しようとする、悪魔の最後の誘惑だったのかもしれない。悪魔はわたしの心に、これから起こることへの不安や恐れを吹き込み、修道院へ向かうわたしの足を止めようとした。しかし、わたしは神の御旨を信じて最後まで歩きとおした。
実際のところ、これまでの修道生活の中で悪魔があのとき囁いたほどひどいことはなかった。確かに苦しいことは山ほどあったが、そのたびごとに神様がそれを乗り越える力も下さった。苦しみが大きければ大きいほど、与えられる恵みも大きかった。悪魔はわたしたちに苦しみだけを告げ、恵みについては語らない。それが悪魔の常とう手段だ。これまでの道を守り導いて下さった神様が、これからも必ず守って下さると信じて、これからの人生の道を歩んでゆきたい。