旅立ち

小川 靖忠 神父

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「わたし」という人間は、年がいくつになってもそうそう変わるものではない。小さい頃、通常と違った行事が入ってくると、わくわくしてその時を待った記憶がある。

中でも、遠足となるとたいそう楽しみであった。何故って、普段は食べることのできない卵焼きとバナナが弁当に入っていたのである。子どもにとって、これだけでも遠足大歓迎である。

 

大人になっても、非日常的なプログラムが予定されると、楽しいものである。子どものときみたいに、高ぶるワクワク感はないとしても、思いの奥底ではかなりの期待感がある。

 

1977年8月、わたしにとって初めての海外への旅程が計画された。聖地イスラエル巡礼である。その旅立ちの日、忘れもしない、準備していた司祭服をしっかりと置き忘れてしまった。多少、浮足立っていたのだろうか。

 

忘れないようにと、ハンガーにかけて目につくところに吊るしておいたのに、・・。

 

「旅立つ時」というのは、やはり大事な時のようだ。動物たちの誕生後の独り立ちや飛び立ち。いわゆる「巣立ち」である。今まで体験したことのない世界への旅が始まったのである。

   

先日、テレビでアホウドリの巣立ちを見た。ヒナの時に無人島で人工飼育をし、彼らの習性、数年したら巣立った場所に戻ってくるという試みであった。巣立つ前は羽の伸ばし方の入念な準備、巣立った時には拍手をしてしまった。数年後、確かに戻ってきたのである。

 

どの世界でも、「旅立ち」は未知の世界への前進であり、戻ってきては新しい次世代への引継ぎが自ずとなされていく。そしてまたあらたな「旅立ち」が始まる。

 

この営みをそっと支えてくれる方がいる。その方を意識していこう。

始めの一歩

岡野 絵里子

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1・2・3・4・5・6・7・8・9、この中で最も好きな数字はどれですか?というアンケートを友人たちに答えてもらったことがある。最も人気があったのは1で、理由は「1番になりたい」、「1人が好き」などだったが、中に「1は始まりだから」という回答があって、興味深かった。確かに、人間は何かを新しく始めることが好きな生きものでもある。

思い出せば、入学や入社など初めての世界に入っていく時は、期待と不安で胸が一杯になった。それまでとは違う日々が始まるのだ。頑張ろう、と張り切っているが、未知の世界が不安で心配でもある。この喜びと恐れが混ざり合って、胸が騒ぐのが、一歩を踏み出した時の心境ではなかったろうか。

また、私たちは思い定めて何かを始めることがある。例えば、大人になってからの習い事や勉強、ボランティアなどがそうだろう。その人の内部の時間が満ちてきて、始めたことなので、外側にある年齢などとというものには関係がない。30代の終わりに定時制の高校に通った人もいれば、60歳を越えて大学に通い、博士号を取得した人もいる。

始めるとは、自分をゼロの位置に置くことだ。傲りや飾りを捨てて、無心になると、自分自身が開かれていく。すると、最初は小さな泡のように、やがては泉のように湧いてくるものがある。それは静かな喜びだ。世界を迎え入れる喜びだ。

無心で待っている者に、善きものが与えられないわけがあるだろうか。それは信じられてもよいのではないだろうか。

新しい年が開かれた。私たちも静かに開かれていく。


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