未明の沼のほとり、さざめきのような声で鳴き交わしていたマガンの群が、突然緊張感を持ち、一斉に真上に飛び立ちます。無数の羽ばたきによって、目の前でホホホーと空気の震える音がまっすぐ立ち上がります。私はこれを、羽音柱と名づけました。
彼らの渡りは、悲しいくらい普通で、粛々と行われる儀式のように思えました。私たちは感動しながら見ていますが、彼らにとっては年に2回の「普通の活動」であり、旅に命がかかっているということも、普通なのです。
そう思っても、彼らの旅立ちを目の当たりにすると必ず胸を打たれる、それはなぜか、と考えました。
おそらく、私の心も一緒に旅立ちを体験しているからでしょう。「いってらっしゃーい」と毎日勤めに出る父親を見送る子供のような気持ではなく、長距離の旅路に命をかけて飛び立つ彼らに「気をつけてね、がんばってね」と真剣にエールを送る気持で見るため、私の心も彼らとともに北を目指しているのです。
旅立ちが私たちに意味を成すのは、私たち自身が踏ん切りを付けたり前を向いたりして、意識的に「飛び立つ」ときではないでしょうか。
日常のなかでも、このような意識によって、人生を希望の方向に変えることができると、私は思っています。