これが海外出張や旅行となると、その不安や危険はなお一層大きく、残念なことに"命がけ"と言っても過言ではありません。見送る家族も、本人以上に不安を感じ、「今どこにいるの?大丈夫?」と、メールや携帯で頻繁に問い合わせをしないではおられません。家族は、旅立った者が、帰国するまで安心できず、「どうか、安全でいますように」と、真摯な「祈り」が続きます。そもそも、人生は、いわば、はかない命の旅路、誕生の瞬間から臨終の時まで、いくたび、あらゆる「祈り」が、自ずと生まれ、祈り、祈られていることか!
いったい、このような「祈り」とは、なにか?
いみじくも、19世紀フランスのカルメル会修道女、幼いイエスの聖テレジアは、「私にとって、祈りとは、心のほとばしり。天に向ける素朴なまなざし。辛いときにも、嬉しいときにも、天に向けてあげる、感謝と愛の叫び」と、述べています。また教会は「祈りとは、心を神にあげること、ふさわしい善を神に願うこと、祈るのは、心、心が神から離れているならば、祈りの言葉はむなしい」と、説いています。み旨にかなった祈りとともに、常に平安をもたらしたいものであります。