▲をクリックすると音声で聞こえます。

旅立ち

小川 靖忠 神父

今日の心の糧イメージ

「わたし」という人間は、年がいくつになってもそうそう変わるものではない。小さい頃、通常と違った行事が入ってくると、わくわくしてその時を待った記憶がある。

中でも、遠足となるとたいそう楽しみであった。何故って、普段は食べることのできない卵焼きとバナナが弁当に入っていたのである。子どもにとって、これだけでも遠足大歓迎である。

 

大人になっても、非日常的なプログラムが予定されると、楽しいものである。子どものときみたいに、高ぶるワクワク感はないとしても、思いの奥底ではかなりの期待感がある。

 

1977年8月、わたしにとって初めての海外への旅程が計画された。聖地イスラエル巡礼である。その旅立ちの日、忘れもしない、準備していた司祭服をしっかりと置き忘れてしまった。多少、浮足立っていたのだろうか。

 

忘れないようにと、ハンガーにかけて目につくところに吊るしておいたのに、・・。

 

「旅立つ時」というのは、やはり大事な時のようだ。動物たちの誕生後の独り立ちや飛び立ち。いわゆる「巣立ち」である。今まで体験したことのない世界への旅が始まったのである。

   

先日、テレビでアホウドリの巣立ちを見た。ヒナの時に無人島で人工飼育をし、彼らの習性、数年したら巣立った場所に戻ってくるという試みであった。巣立つ前は羽の伸ばし方の入念な準備、巣立った時には拍手をしてしまった。数年後、確かに戻ってきたのである。

 

どの世界でも、「旅立ち」は未知の世界への前進であり、戻ってきては新しい次世代への引継ぎが自ずとなされていく。そしてまたあらたな「旅立ち」が始まる。

 

この営みをそっと支えてくれる方がいる。その方を意識していこう。