大人になっても、非日常的なプログラムが予定されると、楽しいものである。子どものときみたいに、高ぶるワクワク感はないとしても、思いの奥底ではかなりの期待感がある。
1977年8月、わたしにとって初めての海外への旅程が計画された。聖地イスラエル巡礼である。その旅立ちの日、忘れもしない、準備していた司祭服をしっかりと置き忘れてしまった。多少、浮足立っていたのだろうか。
忘れないようにと、ハンガーにかけて目につくところに吊るしておいたのに、・・。
「旅立つ時」というのは、やはり大事な時のようだ。動物たちの誕生後の独り立ちや飛び立ち。いわゆる「巣立ち」である。今まで体験したことのない世界への旅が始まったのである。
先日、テレビでアホウドリの巣立ちを見た。ヒナの時に無人島で人工飼育をし、彼らの習性、数年したら巣立った場所に戻ってくるという試みであった。巣立つ前は羽の伸ばし方の入念な準備、巣立った時には拍手をしてしまった。数年後、確かに戻ってきたのである。
どの世界でも、「旅立ち」は未知の世界への前進であり、戻ってきては新しい次世代への引継ぎが自ずとなされていく。そしてまたあらたな「旅立ち」が始まる。
この営みをそっと支えてくれる方がいる。その方を意識していこう。