無限の神に対しておかされた罪は、有限の人間の力ではあがないきれないものであり、さりとて、人間がおかした罪でしたから、人間によって償われなければなりませんでした。
神の愛の絶妙さは、真の神でありながら、真の人である御子をこの世に、それも幼子として送り、人間の不従順の罪を、御子の十字架上での死までの従順で、完全にあがなってくださったことで表されました。
イエス・キリストはかくて、インマヌエル、共にいる神としてこの世に生まれ、生き、死んでくださいました。人間を愛するあまり、苦楽をともにしたいと願われたのです。
災害、苦しみ、貧しさの中にある人たちに、物資、義援金を送ることもさることながら、幼子の降誕を祝うのに一番ふさわしい心は、かくて、「痛みを伴う愛の心」ではないでしょうか。自分の毎日の生活の中に否応なく入り込んでくる小さな痛み、苦しみをしっかりと、両手でいただくのです。そうすることで、いっときでもいい、苦しむ人、愛に飢え渇いている人の世界に身を置く「痛む愛」こそは、クリスマスを迎える最適の愛の心であり、十字架につくために生まれ給う幼子への、最高のプレゼントであるに違いありません。