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クリスマスに学ぶ

阿南 孝也

今日の心の糧イメージ

娘が男の子を出産しました。待望の初孫が誕生し、新米のおじいちゃんは喜びでいっぱいです。生まれたばかりの赤ちゃんを抱くのは、娘の誕生以来のことです。壊れそうなくらい小さく柔らかく、か弱い、そしてこの上なくかわいい存在です。

新しい命の誕生を目の当たりにして、あらためて、イエス様が赤ちゃんとしてこの世に来てくださった意味について考えてみました。

「布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」と聖書は伝えています。(ルカ2・7)身重のマリアを見れば、たとえ満室であったとしても、どこか屋内に場所を用意できたのではないでしょうか。

私たちは、神様を迎え入れる心と時間の余地がない生活をしていないか、今一度振り返ってみたいと思います。そして、断られても生まれてくださった神のみ心を悟ることができますように、祈りたいと思います。

ヘロデ王がイエス様の命を狙っていると夢で告げられたヨセフは、幼子と母マリアを連れてエジプトへ避難します。今日、紛争等によって、過酷な条件の下、難民キャンプでの生活を余儀なくされた人が大勢おられます。イエス様は難民生活を経験され、生きる悩み、痛みをつぶさに知ってくださったのです。

教皇フランシスコが発表された新しい回勅の中に次の言葉を見つけました。「イエス様は大工として、神様が造った材料に自分の手で形を与えるという毎日を送っていました」。

ナザレのイエス様は、働いて糧を得て、家族を養いました。クリスマスに始まる30年の間、イエス様は様々な試練を受けて苦しまれました。またヨセフ、マリアの生きる姿から多くのことを学ばれたことでしょう。

こうした30年を経た後、公生活に入られたのです。